2005年04月19日作成
2005年04月25日更新
The Special Providence - 旅行日記 - 鹿児島市交通局(2004年12月28日)(その2)
(その1), (その2), (その3)
郡元電停から1系統の終点谷山電停へ。途中涙橋電停付近から専用軌道に入って快調に飛ばします。鹿児島市電はもともとは民間会社が建設して市が買収したものですが、昭和42年に谷山市が鹿児島市に編入合併されるまでの間鹿児島市交通局が谷山市に越境営業していたことになります。終点谷山はJR谷山駅から少し離れた場所に電停を構えていて、最近JR駅付近までの延長が検討されているようです。それには永田川を渡る橋を架けなければならないのですがどうなるのでしょうか。谷山電停は通常の電停に比べるとしっかりした屋根が付いていて駅前広場のようなものもあり、通常の鉄道の駅のようです(写真11、12)
谷山から1系統の電車で天文館通へ。これで鹿児島市交通局の路面電車現有全線を乗り潰しました。天文館で昼食を取った後、高見馬場交差点へ。高見馬場交差点では天文館方面から来た電車が、交通局前方面へ曲がる1系統と鹿児島中央駅前方面へ行く2系統に分岐します。1系統の鹿児島駅前方面行き電停から撮った高見馬場交差点が(写真13)。ここも、右へ曲がっていく線路が通常使われるもので、左へ曲がる線路は使われないのですが、ちゃんと三角線として整備されています。郡元といい高見馬場といい謎の過剰設備です。今のように2系統に整理されてしまう以前はもっと沢山の系統があったそうなので、その名残なのかもしれません。この隣の加治屋町電停のある交差点でかつては伊敷線が分岐していました。写真左側に映っている交差点角に立っている謎のオブジェクトが、かつて転轍手が勤務して通過する電車の系統に応じてポイントを切り替えていた信号扱い所のようです。今は無人で、どういうポイント制御をしているのかが謎。見ていると適当なタイミングで切り替わっているので、電車の運転士が交差点中央のセンターポールに取り付けられている線路開通方向を示す信号機を見て、自分の行く方向に開通していない場合はしばらく手前で停車して、切り替わったら前進してある範囲に入ると鎖錠される、というような仕掛けではないかと想像。なお、交差点手前のセンターポールには自分の行きたい方向に強制的にポイントを転換させるためのスイッチが取り付けられていることも確認しています。時折運転士がこれを操作することがあります。今での信号扱い所が残っているのは臨時運行などの都合で転轍手が配置されることを考えているのでしょうか。また、高見馬場電停の天文館通側では普通の電動転轍機が路面真ん中に設置されているのを目撃(写真14)。一応ゼブラ塗装のコンクリートブロックのようなものでガードしてありますけど、車がうっかり突っ込んできて壊してしまいそうです。
高見馬場から一旦鹿児島駅前へ。鹿児島駅前は、駅前広場と市電乗り場と踏切が複雑に組み合わさっています(写真15)。鹿児島市の目抜き通りといえる、鹿児島駅から鹿児島中央駅への電車通りから連なる道は、鹿児島駅側ではこの(写真15)の左側にある踏切を渡って狭い通りを通って国道10号線へ抜けます。そして、鹿児島駅では貨物列車の扱いがある((写真15)より海手は鹿児島貨物ターミナル駅がある)ため、長い貨物列車の走行や入換などで長い間この踏切が閉鎖されることもしばしばあって恒常的に渋滞の発生するポイントとなっています。最近海側を回る国道10号バイパスが一部開通したためそちらへ抜けることもできるようになりましたが、今度はその先の磯地区の狭い道路がネックとなっています。この部分のバイパス開通は未定。(写真15)を撮影している場所は、この複雑な構成の駅前広場で歩行者が横断できるように安全地帯のようになっている部分で、ここを市電の線路が通っていきます。鹿児島駅前電停は私が子供の頃は2線しかありませんでしたが、増設工事が行われて3線となりました。それというのも、2系統が折り返す郡元こそ本線上であるとはいえ、1系統の谷山では2本の線路で折り返しています。この2つの系統の電車が鹿児島駅前まで来ると2本の線路では折り返し処理能力が足りなくなる、ということがあったようです。それではそれまではどうしていたかというと、ここより3つ手前の市役所前の電停で折り返す便が設定されていました(系統番号は同じで市役所前折り返しが存在した)。かつて、市役所前から分岐する上町線が存在していましたが、市役所前折り返しが存在していたのはその名残ではないかと思います。というのも、上町線廃止後も長らく市役所前電停より北側の交差点からかつての私学校前電停付近まで上町線の線路が残っていて、市役所前折り返しの系統はその線路に引き上げて折り返しを行っていたという事実があるからです。この線路は複線で分岐していて交差点を曲がった後単線となり、その部分に車止めが作られて折り返し電車はその地点でしばらく待機していました。まるでかつての上町線が一部でも存続しているかのようで大変好きな光景だったのですが、やはり市役所前折り返しが存在するのは利用者に分かりにくくしかも不評だったということもあるのか、その折り返し機能を鹿児島駅前電停に移す形で市役所前折り返し便もろとも上町線の線路の名残は消滅しました。今行っても全部車道に変更されて跡形もありません(写真16)。かつての上町線はこの(写真16)の道路をまっすぐ進んで一旦国道10号線を横断した後、城山の方へ登って行って、陸橋で鹿児島本線の線路をオーバークロスした後降りてきて国道10号線に入り、清水町まで運行されていました。地元姶良町から国道10号線で鹿児島市に行くと、磯地区から鳥越トンネルを抜けるのですが、そのトンネルを抜けると目の前に清水町電停が現れて電車が止まっているという光景を今でも覚えています。ところで、私が保有しているプロアトラスW3の鹿児島市の地図は、ある縮尺でだけこの上町線の線路の一部が描かれているのですが、何かの亡霊でしょうか。
1系統の電車で武之橋へ。鹿児島市街地はもともと平野部が小さくて、市街地を流れる川も小河川なのですが、その中で最大の川が甲突川(こうつきがわ)です。それでも二級河川に過ぎません。その甲突川に架かる橋が武之橋(たけのはし)。甲突川には藩政時代市街部に5つの石橋が架けられており、上流から玉江橋、新上橋(しんかんばし)、西田橋、高麗橋、武之橋となっていました。上流側4つはアーチが4つで、武之橋だけアーチが5つの石橋でした。これらの五石橋は100年以上の風雨に耐えてずっと存在し続け、高麗橋のように表面にアスファルト舗装を施して自動車交通の用途に供されている現役の橋まであったのですが、1993年08月06日の大水害で新上橋と武之橋は崩壊して流失してしまいました。残りの3つの橋も治水工事上の理由で撤去されることになり、今ではこの3つの橋は石橋記念公園に移設再建されて見ることができます。武之橋については、さすがに電車通りであり石橋をそのまま使えるわけではなかったため脇に新たに建設されたコンクリートの橋が通常使われていましたが、洪水で流失するまでは電車の渡るコンクリート橋のすぐ脇に元のままの石橋が優美な姿を見せていました。やはり橋は街の中に、現役の橋として川に架かっている姿がもっとも美しいと思うので、完全になくなってしまうよりはマシであるものの石橋公園に移設されてしまった3つの橋は大変残念であり、また流失した2橋も大変残念なものでした。まぁ、高麗橋について言えばアスファルトで覆われて、狭い歩行者用の橋を無理やり2車線道路にしたためにしょっちゅう欄干を傷つけられて痛々しい様ではありましたが。
さて、その橋の現在の様子を見るためと、鹿児島市交通局の車庫を覗くためにやってきました。横断歩道を渡ろうとすると、ヤマト運輸塗装の電車が走ってきました(写真17)。この塗装の電車、確か札幌市電でも見かけたような気がします。こんな電車が走ると、まるでこの電車で荷物の配達に来てくれそうで楽しいのですが。さて、現在の武之橋です(写真18)。やはりコンクリートの単純な桁橋は見るべきものがないというか、醜悪な感じもします。この上が電車通り。かつての石橋の武之橋はこの橋の南側(写真の手前側)に架けられており、このアングルだとちょうど石橋を写すことになるであろう位置です。
さて、鹿児島市交通局の車庫です。鹿児島市交通局の電車の車庫は、武之橋電停と交通局前電停の間の北側に存在します。車庫への引き込み線は武之橋電停側と交通局前電停側からと両方存在しますが、普段は交通局前電停側が使われていて、武之橋電停側の線路は最近使われた様子がありません。武之橋電停よりもさらに鹿児島駅前側の線路から分岐して道路(交差点)を斜め横断して車庫に吸い込まれていきますが、入口のフェンスは固く閉じられていて線路も錆び付いています(写真19)。道路の歩道を歩きながらフェンス越しに中を覗き込みます。一番北側(武之橋電停側)に検修施設なのかコンクリートとスレート造りの建物があり、間にトラバーサを挟んで南側に露天の留置線が並びます。トラバーサの向こうには古い石造りに見える建物も存在して興味が惹かれます(写真20)。左奥には花電車も見えます。
(その1), (その2), (その3)
鹿児島市交通局(2004年12月28日)(その2) - 旅行日記 - The Special Providence
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