2004年12月30日作成
2004年12月31日更新

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岐阜旅行(2004年09月18日)(その8)

The Special Providence - 旅行日記 - 岐阜旅行(2004年09月18日)(その8)
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犬山で、広見線の電車に乗換。広見線は犬山から新可児を通って御嵩まで。線内のどこにも広見という駅名がないと思って線名の由来を調べると、かつては新可児が新広見という駅名だったそうです。新可児は、JR太多線可児駅に隣接しており、国鉄/JRの駅と同一名を付ける時は頭に新を冠するという名鉄の法則どおりです(名電各務原みたいな例外もありますけど)。可児市の市制施行に伴って駅名を市名に改称したとか。また、新可児以東は多治見から路線を延ばしてきた東濃鉄道(現在の東濃鉄道とは別)が建設し、多治見-可児間は太多線に編入するため国有化され、そこに犬山から線路を延ばしてきた名鉄が繋がったという経緯があるそうです。犬山-新可児間は複線で、犬山線などからの直通列車が頻繁に走って幹線といった雰囲気。これに対して新可児でスイッチバックして御嵩へ向かう線は同一線名ながらほとんどの列車が新可児で系統分離され、列車本数も少なく、一気にローカル線となります。途中の明智ではかつて八百津線が分岐していましたが、電気運転を廃止してしばらくレールバスで合理化を頑張ったものの廃線。広見線は電気運転は続けられていますが、雰囲気的には新可児より東側は切り捨てられてもおかしくない気がします。また、新可児より1つ東側の学校前は来年01月29日に廃止とのこと。新可児で乗り換えて終点御嵩に到着。三角屋根が印象的な棒線頭端駅でした(写真71)。駅前もこれといった商店などがあるわけでもない様子。すぐ折り返しの電車に乗車しました(写真72)。今日の乗り潰し予定はここまで。この広見線の電車は車端の席に座ると前面展望が良くてなかなかいいですね。新可児まで戻ると、犬山線直通の河和行き普通列車にパノラマカーが充当されていたため喜んで車端のパノラマ席を占拠。犬山でスイッチバックになって犬山線内で先頭になることを計算に入れて、最後尾を取ったのですが、犬山ではすっかり日が暮れてろくに外は見られませんでした。それでも広見線内での尾部の展望はすばらしかったですね。この日は新名古屋で降りて、近くで宿泊。


翌09月20日、新名古屋から出発です。残り1日では名鉄全線は無理なので、まずは北の方の名鉄線を乗り潰しておこうと計画して出かけました。そこでまずは名古屋本線の新名古屋以北です。まっすぐ新岐阜へ向かいました。昨日美濃町線や各務原線を使ったのとは別な側の新岐阜駅ホームに到着。折り返しまでしばらく周りをうろうろしていると、パノラマDXがやってきました(写真73)。しかも側面の幕を見ると「団体」とのこと。一体どんな団体なのでしょうか。新岐阜駅のホームには各種行き先を表示した電車が並んでいて、前面ガラスを清掃中(写真74)。土地勘がないので、このように多種多様の行き先を見せられてもどっちへ行くのか良く分かりません。名鉄は支線系統への直通が多いですしね。


笠松まで本線の列車で戻り、竹鼻線の列車に乗換。新羽島行きです。竹鼻線はもともと大須まで行っていて、途中江吉良から羽島線が新羽島まで分岐していたのですが、江吉良から先は廃止になっていて今では羽島線の方が残されています。羽島線自体は新幹線の岐阜羽島駅に接続するために建設された新しい路線です。といっても、岐阜からだと新幹線利用は名古屋に出た方がはるかに便利なので、この線を利用してまでわざわざ岐阜羽島に出るという人はそうそういないと思います。新羽島駅は高架になっていて、駅舎に降りてくると新幹線の駅前広場の横に顔を出しているといった感じ(写真75)。棒線の末端駅で、スパッと高架が切れて線路が終わっている(写真76)のでオーバーランしたら怖いなと思うわけですが、実際に積雪で滑ってオーバーランしてしまったことがあります。幸い高架の端に引っかかって、電車が転落しなかったので良かったですけど。


竹鼻線、羽島線をクリアして、笠松に戻り、名古屋本線の列車で今度は新一宮へ向かいました。木曽川を渡って賑やかな街中の新一宮到着。JR東海道本線の尾張一宮駅と同じ場所にあります。ここからは名鉄尾西線が分岐しているのでこれを乗ります。尾西線は路線の名前としてはずっと南の弥富から玉ノ井まで繋がっている呼称で、新一宮はその途中駅です。ここから北西方向へ行ったところに終点玉ノ井があり、南西方向へ津島、弥富方面への線路が延びています。現状、新一宮で系統が分断されているので、玉ノ井方面へは新一宮からの盲腸線と言っても良いでしょう。このような線ですが、名古屋本線が開通するまでは名鉄の名岐連絡のメインルートだったこともあったそうで、意外です。終点玉ノ井よりまだ先へかつては線路が延びていて、名古屋本線の笠松までバス連絡をしていたそうです。いくらなんでも、東海道本線は当時からあったはずで、途中でバス連絡をするルートが官鉄と闘えたのか、なかなか興味深いところです。さて、まずは末端玉ノ井から乗り潰します。終点玉ノ井は、ホームの屋根の形状からするとかつては島式ホームの1面2線あったのではないかと思われる、現状棒線駅(写真77)。末端を見ても、それより先に線路が延びていた気配は全くありません。戦時中に休止になってそのまま復活することなく廃止されたそうです。そのまま折り返し列車で引き返し、新一宮駅で今度は津島へ行く列車に乗り換えました。尾西線は新一宮駅の一番西側のホームを使っており、1番線の北側が玉ノ井方面、南側が津島方面と、同一ホームで使い分けています。同一ホーム縦列駐車のためにきちんと信号機も設置されているようで、乗換も便利でいいですね。津島の方を見て撮影したのが(写真78)ですが、安全側線かと思った線路がよく見るとちゃんと繋がっていませんね。


新一宮駅で津島行きの列車に乗車。尾西線は津島でも系統が分断されています。森上までは単線なので対向列車の行き違い待ちをしながら濃尾平野を進みます。前面展望がよい電車なので、対向列車がやって来る様子が良く見えます(写真79)。津島に到着。津島には名古屋本線の須ヶ口から津島線がやってきていて、高架上の大きな駅です。津島線経由で本線からたくさんの列車がやってくるので、ここは幹線といった感じ。ここ以南の尾西線へも直通しています。今の名鉄では、名古屋から放射状に延びる路線は忙しく、それ以外はローカルといった様子が良く出ています。ホームに種別、両数、行き先を表示する電光式の案内があって面白いですね(写真80)。


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