先日届いた松屋フーズの株優を早速行使。従来半期ごとに10枚ずつ無料食事券を配布していたのを、今度から1年に1回になってしまったので、配布枚数は半減。株の取得コスト(単元株で20万円前後)に比して得られる株優が結構な価値がある(1年で20枚もらえるなら500円の定食に全部使ったとして1万円)ので、株優目当てで株を買う人が多かったのかもしれません。その結果、株優使用によるコストが無視できなくなって半減ということなのか。なお、単元株所有で今期の配当は1080円(税引き後)でした。これは中間配当と2回に分けてなので、年間での配当と株優の価値の比率は今でもなお約2:5ということになります。
届いて初めて知ったのですが、これは1枚で定食ならばライス大盛りにできて、丼ならサイドメニューを120円まで付けられるそうです。120円ぴったりのサイドメニューってウーロン茶かミネラルウォータしかないですけどね。今日はこれで使える最高額メニュー、カルビ焼き肉定食ライス大盛りにしました。もともと松屋のライスは盛りが多いと思いますけどね。ただ、カルビの味があまり好きではないので、これからもこれを注文するということはないでしょう。どちらかというと豚肉系の定食の方が好きです。
株優といえば、日本航空の合併完了記念の特別株優が今日届きました。1枚だけです。往復に使えないのですがどうしたものでしょうか。売却ですかね。
ところで、米国産牛肉の輸入が再再開されるというのに、松屋フーズの株価が低迷したままなのはなぜでしょうか。
滋賀県知事選挙で、大型公共工事に反対している嘉田氏が当選したそうで、「新幹線新駅は凍結」と発言したとか。東海道新幹線の米原-京都間に建設する予定の南びわ湖駅(地元要望の駅名、当初の仮称はびわこ栗東駅)のことですね。2012年開業予定ということになっているのですが、現地の工事は少しは始まっているのでしょうか。仮に工事を始めてから中止ということになったら資金負担などでかなり面倒なことになりそうです。鉄道ファンとしては新しい駅ができるのは楽しいことですが、東海道新幹線全体の機能から考えると不要な気もします。今のダイヤではのぞみシフトが激しすぎて、「こだま」しか止まらない駅の不便性が非常に際立っているように思います。いわて沼宮内とか安中榛名とかそれよりはるかに停車本数が少ない駅からすると1時間に片道2本は確実に走る東海道新幹線の「こだま」レベルで文句を言うなという感じかもしれませんが、その「こだま」が「のぞみ」「ひかり」にどんどん抜かれて遅すぎるのが問題です。下手すると在来線を走る新快速とかに追いつかれかねない程度で、平均待ち時間とかを考慮するともし並行在来線に新快速が走っていれば流れてしまう乗客もかなりいるのではないでしょうか。滋賀県では実際に新快速が高いサービスレベルで運行されているので他の新幹線停車駅へ行くのに大して不便は無いでしょう。そこまで各駅停車の「こだま」の機能が低下しているというのは、もうそろそろ東海道新幹線の複々線化を考えなければいけないのかもしれません。
ちょうどJR東海が自己負担で山梨のリニア実験線を延伸するという話が出ています。これなどまさに東海道新幹線の更なる線増計画ですよね。一方で、リニアは車体断面も小さくて運行頻度も変電所間隔によって決定されてしまうため在来新幹線に比べて輸送力が低いのではないかという疑問も持っています。もしそうであるなら、在来新幹線との間で運賃に差をつけることで東京-大阪間の乗客も両方に分散を図らなければならないのではないでしょうか。そして多少ダイヤに余裕が出る分を利用して東海道新幹線側では「こだま」タイプのスピードアップを図ると全体としての効率がよいのではないかと。リニア側でもいろいろな新駅誘致計画が唱えられているようですが、リニアで新駅をバンバン造ってしまうと著しく輸送効率が低下してしまうのである程度歯止めが必要ですね。少なくとも隣駅間の移動をする「こだま」タイプの各駅停車は運行しない方がよいでしょう。東京、名古屋、大阪への移動のためだけの乗り物と位置づけて、列車によって止める駅を変える必要があるでしょう。あちこちで提案されている内容ですがね。
もっとも、栗東新駅ですらこんなに反対が大きくて潰れそうなのに、9兆円は掛かると試算されているリニア新幹線が本当に実現できるのか、そちらの方が疑問は大きいところではあります。
会社で先輩がPowerPointプレゼンテーションをいじっていて、バグに遭遇しました。Office XPに含まれているPowerPoint 2002なのですが、画面上に配置されているオートシェイプを右クリックするといきなり終了してしまいます。クラッシュした旨を表示するダイアログも何もなしにふっと画面からかききえるという感じ。しかも確実に再現する現象で、どのスライドを開いてもオートシェイプで右クリックしたら同じようになります。極めて不思議だったので「ヘルプ」メニューにある「アプリケーションの自動修復」をやってみたのですが直らず。そのうちメニューの「ツール」を選択した時にも同じように即座に落ちてしまうことが判明しました。
調べていたところ、マイクロソフトのサポート技術情報のページで情報を発見。[PPT2002] ツールメニューをクリックするとプログラムが終了するです。まさにここに書いてあるのと全く同じ症状。プレースホルダを右クリックするという条件も書かれていますが、オートシェイプはプレースホルダの一種なのでまさにオートシェイプで右クリックした時に落ちるという症状と一致しています。これの再現条件がまた奇妙なもので、インストールドライブがNTFSでフォーマットされていてボリュームラベルに2バイト文字を含んでいると発生することがあるとか。確かにその条件に合致していて、ボリュームラベルをアルファベットだけに変更したら直りました。なぜボリュームラベルをそこで参照するのかが謎。ボリュームラベルをどうやって読み取ればよいのか、私には調べなければ分からない操作です。ちなみに私の環境も全く同様にボリュームラベルに2バイト文字が使われていたのですが、こちらでは何の問題もなく使えています。これもまた謎。
だいぶ昔、Visio 2000だったかと思いますが、ファイルをダブルクリックして開こうとしてもクラッシュするという症状があって、それへの対処策が「通常使うプリンタを別なものに変更する」だったことがあって、なぜそういうものを参照するんだという疑問がありましたが、同じような感じですね。その当時はこれへの対処が載っていたものの、その後削除されてしまったのか今検索しても見つかりません。
今日はその先輩は厄日だったのか知りませんが、自動販売機でヨーグルト飲料を買おうとすると牧場発 黒ごまオレが出てきましたし、その後同じ自動販売機でお茶を買おうとしたら今度はカフェオレが出てきました。これは20円高いものだったので若干得したと言っていましたが、2回続けて違うものが出てくるというのも運が悪いですね。
会社に設置されているFAX兼コピー機兼スキャナは、通常のガラス板の中をスキャンする部分が動く読み取り部の他に、蓋のところに書類をまとめておくと1枚ずつ吸い込んでコピー/FAX/スキャンしてくれる機能が付いています。オフィス向けに作られている高機能マシンではよくある機能ですね。これは非常に便利なので、手元に来る書類を片っ端から放り込んでスキャンして電子的に保存するようにしています。デフォルトの設定ではスキャンしたものはPDFに変換されて内部のメモリに蓄積され、自分のPCからブラウザでこのマシンのIPアドレスにアクセスすると一覧表示されるのでダウンロードして手に入れることができます。外から届いたFAXも自動的に印刷されるのではなく同様にPDF化されてメモリに保存されているので、特に印刷する必要はないものなどでは便利です。ただ紙で出力されていないと自分宛にFAXが届いていることに気付かない恐れがあるので、FAX受信時には定められたメールアドレスに着信を通知するメールが送られるようになっており、うちのオフィスでは事務担当の人にこのメールが来るので、そこで人力で誰宛のFAXなのかをチェックして本人にFAXメールが転送される仕組みになっています。さすがに誰宛のFAXが届いたのかを機械で自動判定することは困難ですからね。これで自分のPCからPDFファイルをアップロードして相手の電話番号を指定すればFAXを送信できる機能があれば便利なのですが、その機能はないのがちょっと残念なところ。
今日は上司から「ちょっとこれスキャンしておいてくれない」と書類の束を渡されました。この機械に放り込めば簡単だろうと思いきや、なかなか苦戦しました。まずありがちですがホッチキスで留めてあるのが面倒なところです。ホッチキスは外してもよいと言われていたので手作業でこれを取り外すのですが、ホッチキスで留めた書類の束いくつかをさらに外からホッチキスで一くくりにしているものがあり、外側のホッチキスの針を外しただけで放り込んで詰まらせてしまいました。中まで点検してホッチキスの針が全て取れていることを確認しても、一番外側では左側で留めているのに中に右下で留めている(これって開けない書類…)ものがあって、右側にあるのを見落として放り込んでまた詰まります。そしてA4の紙でできている書類の中に大きな図を折り畳んでいるものが入っていて、このスキャナは用紙サイズを自動判定してくれるのに一旦A4と判定してしまうとその後連続して吸い込んで読んでいる時に不意に大きな用紙が来ると紙詰まりと判定されてしまうようでなかなか面倒です。結局用紙サイズが違うところでまた手動でやり直し。
これでやっと出来上がりと思って自分のPCでPDFファイルを落としてきて、仕上がりをチェック。知らなかったのですが、このスキャナは用紙の上下方向を自動判定して、その向きを揃えるように回転させてPDFファイルを生成するようです。つまり、A4用紙を縦長に使う書類の中にA4横長の紙が入っていると、そこだけ90度回転させてちゃんと横長のページとしてPDFファイルに挿入されます。これがなかなか凄い機能で、OCRのような機能で文字の印刷されている向きを自動判定しているのでしょうか。これは素直に感動してしまいました。
しかし仕上がりのチェックをしている時に気付いたのですが、この書類、そもそも裏紙を使用して印刷している(裏面は無意味な情報)ものと、両面印刷している(裏面も意味のある情報)ものが混在しているのでした…。これをさすがに機械が自動判定できるわけもなく(苦笑)。おまけにこの仕事に直接携わっていない私が見ても、どこが裏面まで意味のある情報なのかを判定するのに四苦八苦という有様で、結局全部手作業でやり直す羽目になったのでした(がっくり)。この書類を作った奴は出て来いと言いたいところですが、作成者は見知った人ばかりなんですよね(苦笑)。
出国する日が近づいてきていろいろと準備でおおわらわです。フランクフルト経由のルフトハンザで行くのと、パリ経由のエールフランスで行くのと、2通りの経路を検討してきたものの、帰りのフランクフルトから関空の予約が取れず、結局パリ経由エールフランスで行くことになってしまいました。せっかくANAカードを作ったというのに、これではマイルが貯められません(ガーン)。おまけに、関空を出発する時刻がルフトハンザだと9時30分、エールフランスだと12時とこちらの方が余裕があるのはよいのですが、プラハ到着がルフトハンザだと18時30分、エールフランスだと20時30分となってしまって、現地がかなり遅くなってしまいます。帰りはチューリッヒ国際空港から7時35分というまた悲惨な時刻に出発することになるので、非常に大変です。それにパリのトランジットが4時間近くあるのですがどうしたものか。
また、現地での連絡が付かないのは困るということで、携帯電話のレンタルを手配。事前には全然知らなかったのですが専門のレンタル業者があるんですね。関空で借りて関空で返すようにウェブで申し込みをしました。個人の費用で使う気はしないくらい高いですが、会社の費用なので問題ありません。
一応、インターネット接続についても調査。うちでは、会社のパソコンは外で勝手にインターネット回線に繋いではいけない(ウイルス感染とかの問題)規則になっていて、たとえホテルでサービスがあったとしても使えません。だから仮にやるとすると別に個人のノートパソコンを持参するかインターネットカフェのようなところでパソコンごと借りるかです。そのためだけにノートパソコンを2台も持っていくのはかなり間抜けな感じがします。一応プラハで宿泊するホテルで有料の接続サービスがあることを確認。しかしその価格を見ると、1Mbpsの接続を1日借りる額で、日本だと光ファイバの接続を1ヶ月使用するくらいの値段です。日本は本当にそういうところが安いですよね。他に自分が使っているプロバイダの国際ローミングサービスも確認。あちこちに無線LANを使えるホットスポットが用意されてもいるようです。苦労してモデムを現地の回線につないでローミングのアクセスポイントに繋ぐよりは、(近くにあるのならば)そういうホットスポットへ出かけて繋ぐ方が楽そうです。プラハでもチューリッヒでも、ホットスポット一覧にマクドナルドの店舗が大量に列挙されているのが面白いです。
コンセントの形状が違うので、変換コネクタと変圧器も用意。これはうちの部署で海外出張者用に買って置いてあるものがありました。いろいろな形のコンセントに対応するために様々な形に変形させられるユニークなコネクタがまずあり、それで形状を統一した後に接続する変圧器(100V〜260Vの交流を100Vに統一する)があって、その先に日本の電化製品をつなぐようになっています。海外の強烈な電圧変動やサージにもある程度対処するプロテクタが内蔵されているとか。おまけに簡単にコンセントに来ている電圧を判定できるテスタまで付いていました。さらにモデム用の電話信号変換機なんかもあって、まぁいろいろ考えられているものですな。しかし明らかに日本製のこれらの製品を、海外で勝手に電話通信線に繋いでしまって現地の電気通信事業法(に類するもの)に抵触しないのでしょうか。マニュアルに「自己責任」とか書いてあるのですが…。音響カプラとかだと何の問題もなさそうですが。
九州で大雨が降り続いているようですが、福岡の甘木鉄道で鉄橋の橋脚が傾いて軌道が沈み、不通になっているとか。先日の三岐鉄道北勢線に続いてまたも鉄橋にダメージです。復旧に2〜3ヶ月掛かるということで三岐鉄道よりも深刻そう。甘木鉄道は数少ない健全経営の第3セクター鉄道だけに、これがきっかけで転落しなければよいのですが。
甘木市はJR鹿児島本線や西鉄大牟田線からちょっと東に離れた場所に位置する都市で、JR基山駅から旧国鉄甘木線-甘木鉄道が分岐し、西鉄も宮の陣駅から分岐して甘木線が伸びています。それぞれの終点甘木駅はすぐそば。国鉄時代は国鉄甘木線は列車本数的に使い物にならなかったため、福岡へ出るのには西鉄が断然利用されていたのですが、第3セクター化後猛烈に列車本数を増やして、JR鹿児島本線の利便性アップとあいまって乗客を大幅に増やしました。なにしろ国鉄時代に撤廃された行き違い設備を復活するだけでは足りず信号場の新設までしています。朝ラッシュ時にはほぼ15分ヘッドで走る積極経営。また小郡駅付近で西鉄大牟田線をオーバクロスしていて、国鉄時代は接続が悪かったので駅を移設してすぐに乗り換えられるようにして、博多ではなく天神に行きたい乗客も甘木鉄道を利用しやすくなり、宮の陣周りだとかなり遠回りになる西鉄甘木線利用に差をつけました。福岡県のもう1つの第3セクター鉄道、平成筑豊鉄道と並んで優良3セクだったのですが、平成筑豊鉄道も貨物輸送がなくなってしまってピンチだそうですし、こちらも最近少し赤字を計上しているようでした。ここに災害となると泣きっ面に蜂ですね。
おまけに甘木から西鉄が直行バスを走らせ始めたそうで、なかなか強敵です。しかも、天神に走らせると自社の鉄道線の需要を食ってしまうので博多に走らせているとか(苦笑)。逆に小倉方面は現在JRが圧倒的に強すぎるために博多線は競争を諦めて天神線に集中しているという話を聞きましたが、そういう分析付きで聞かされると西鉄のバス戦略も面白いものです。バスのネットワークがどうなっているかは全く知らないので、人から聞くまでそういった事情は分かりませんでした。
ドイツでは、鉄道路線に並行する高速バス路線を運行することは禁止されているそうです。鉄道という環境負荷の低い乗り物があるのに、わざわざ環境負荷を高くするようなことをするべきではないということのようです。それに対して日本は何でもありの自由競争ですが、その自由競争の果てに関西3空港乱立のようなことになってしまうのではあまりに交通政策がなさすぎる感があります。今度の海外出張で現地の交通手段を調べていると、向こうでは大抵の市内交通機関が共通の乗車券で乗れて、日本のように事業者が変わるとまた初乗り運賃などというシステムはありえないようです。そういうことまで含めて、もっと統一された交通政策というものを考えないと、徒に国力を浪費しているだけのような気がします。
明日出発なのであまり余裕がなく、手短に書きます。結局のところ、私物のノートパソコンは持って行かないことに決めたので、ほぼ間違いなくここの日記の更新は帰国(16日)まで止まります。一応、日記の更新用パスワードは記録していくので、もしインターネットカフェのようなところからアクセスできたら書き込むかもしれませんが、あまり時間的余裕がない行程なので期待しないでください。いつもなら気分がゆったりしている金曜日の夜なのに、今日はさすがに落ち着かない気分です。発表が月曜日の午前中最後くらいと決まったので、さっさと終えてしまいたいという考えからするといいですね。
行きも帰りもエールフランスになってしまい、マイルが貯められないということは既に書きましたが、プラハからチューリッヒに移動する航空会社は別です。スイス国際航空(LX)という会社で、調べてみるとこれがスターアライアンスでした。ここだけマイルが貯められますね。今日トラベルオフィスの担当者から航空券と、両替を頼んでおいた現金、トラベラーズチェックを受け取りました。クレジットカードが使えると一番楽なのですが。しかしユーロとスイスフランだけなので、チェコではコルナに多少の両替が必要。ホテルの値段表や学会の参加費はユーロ建てなのでユーロもある程度通じるのではないかと思うのですが。とりあえずプラハ・ルズィニェ空港に両替ができる場所があるようなので、そこで現金を調達しないと、ホテルへ向かうバスにも乗れません。それにチップの習慣があるようで、現金を用意しておく必要がどうしてもあります。
まぁ、なんだかんだ言っても趣味は忘れずに、行きは南海特急「ラピート」で行くつもりですし、現地でもチェコ鉄道に何とか暇をつけて乗ってみるつもりではあります。それでは行ってきます。
朝7時に起床。当初9時30分発のルフトハンザで出発するつもりでいたので、それからするとずいぶんゆったりした出発です。しかし寮の朝食を取り消してしまっていたので食べずに出発。塚口駅で阪急そばを食べていきます。梅田駅で地下鉄御堂筋線に乗換。南海難波駅の窓口でラピートの特急券と乗車券を買って乗車。9番線の専用ホームから乗車なのでてっきり入口のお姉さんが特急改札をしているのかと思いきやほとんどフリーパス。2両のデラックスシート車は案の定ガラガラで、レギュラーシート車はそれなりに人が乗っていました。4号車に乗車。空港特急なので入口にトランクを置く場所があって、通路にトランクが転がってこないようにする押さえバーが付いていました。乗っている客も空港へ行く人は割と少なく、岸和田で接続の区間急行などに乗り換えていく人が多いようです。また乗車は新今宮が多かったように思います。
空港に到着。まず国内線の方にあるお土産品コーナで見学先の人に渡すお土産を購入。日本風なお菓子で長持ちするものをと考えてせんべいにしてみました。続いて4階の国際線カウンタの奥の方にあるビジネスセンタに行って、予約しておいた海外用レンタル携帯電話を受け取り。NOKIAの携帯でした。割といろいろな機能があるようですが、とりあえず通話に必要な機能だけ日本語で書かれた説明書を渡されました。変圧器やコンセントのアダプタもついたセット。これは日本では使えないので電源を切ったままの状態で荷物に放り込みました。
エールフランスは日本航空に関西空港での地上業務を委託しているようで、日本航空の職員の方がチェックインをしていました。プラハまでのチェックインを一度にしてしまい、荷物も経由地のパリで受け取る必要はないのですが、何か問題があったのかチェックインカウンタで20分近くも待たされてしまいました。「勝手に上げていいのかな」とか奥で相談していたので、もしや座席が足りなくてビジネスクラスにアップグレードかと期待しましたがさすがにそんなことはなく発券されました。何が問題だったのか結局不明。
搭乗した機材はボーイングB777-300ER。フランスのナショナルフラッグキャリアエールフランスのことなのでエアバスで固めているのかと思いましたがそうでもないようです。ほぼ満席の状態。国際線の機材とはいえエコノミークラスの席は狭くて窮屈です。フランス人の乗務員が多くて、一部に日本人という様子。フランス語-英語とフランス人の乗務員がアナウンスした後日本人の乗務員が日本語で同じ内容のアナウンスをしていました。周りにも日本人が多くてまだあまり海外に向かっているという感じがしません。離陸するとすぐに7時間時計を戻して現地時刻に。ヨーロッパの時間では朝5時の出発ということになります。
各座席に液晶モニタが付いている機材で、手元のパッドを操作して番組を切り替えると、現在地を地図上に表示したり速度や高度などの情報を表示するモードにできます。それを見ているのが面白くて、ほとんどの期間このモードに設定しておきました。日本海を横断してウラジオストクあたりからロシア領空に入るのかと思いきや、一路西へ向かって韓国の上空を通り、黄海から渤海湾へ綺麗に山東半島と遼東半島を避けて海の上を飛んで天津あたりから中国上空へ。北京、ウランバートル、ウランウデ、バイカル湖の南端というコースで進んでいきました。ひょっとしてテポドン騒ぎの影響でしょうか。それとも関空発着の欧州便はこれが普通なのでしょうか。その後はシベリアのろくに都市がない原野の上を飛び、モスクワの北側を回ってサンクトペテルブルク上空を通過、エストニアからバルト海に抜けてドイツ北部に上陸、ルール工業地帯の上を通過してパリへ到着しました。
機内では2回機内食が出ました。パンがフランスパンのあたりさすがエールフランス。しかしそれほど美味しいとは思わなかったです。所詮エコノミーの機内食はこの程度か。さすがに12時間も飛ぶとかなり疲れて、到着ちょっと前に出た夕食としての機内食は食べるのに骨が折れました。
液晶モニタではゲームもできるようになっていて、ろくなゲームがなさそうだったので特に見なかったのですが、クイズだけはやってみました。航空史、航空技術、地理、エールフランスの歴史の4分野。エールフランスの歴史は分からないだろうと思ったので他の3分野を試してみました。時間制限つきの4択式。「ブレゲー14型の巡航速度は?」「ボーイング747の翼面積は?」「次のうち、貨物取扱量の最も多い港は?」とどれも結構カルトな問題で大苦戦。ただし、繰り返しやっていると問題が循環し始めるのですぐに高得点を出せるようになります。しかし、一部に問題文も回答の選択肢も全く理解不能な英文が出てくるものがあって、これはもう単に覚える以外にないことになってしまいました。
かなり疲れた状態でパリ・シャルルドゴール空港に到着。ターミナルは1と2の2つに大きく分かれていて、そのうち2の中で2Aという地区に到着。次のプラハ行きの乗り継ぎは2Bとアナウンスで言われたので、降りてからターミナル間連絡バスに乗って2Bへ。同じ飛行機でやってきた日本人も多数連絡バスに乗っているのですが、2Bで降りる人が他に誰もいず、本当にここでいいのかなと思いながら行ってみるとここでした。29Bゲート。こちらはエアバスA319型機。こっちにきてもやはり日本人がウロチョロしていました。よく見るとこのエールフランスのフライトも日航とコードシェアになっていて、結局日本からプラハまで全部日航でもチケットが出るというわけです。ゲートから遠くに駐機してある(明らかに引退した機体を展示目的で飾ってある)コンコルドが見えたので早速写真撮影。
それにしてもシャルルドゴール空港は本当に広いです。飛行機に乗ってから見るとその圧倒的面積がよくわかります。そのなかを飛行機があっちこっちへと動き回っています。フェデックスの基地が端の方にあって、多数の自社専用機がその前に並んでいる様子が印象的。またフランスなのでフランス語優先主義だと思いましたが、さすがにアメリカが圧倒的に強い航空の分野ではそうは行かないと見えて、滑走路に示されているサイン類は英語のみで書かれていました。入ってはいけない誘導路に"NO ENTRY"、誘導路から滑走路に出るところに"RWY AHEAD"(RWYはRUNWAYの略)などなど。空港のターミナルがフランス語だらけで英語は小さく書いてあるので、英語を見るとほっとする気がします。
搭乗したのは小さな飛行機で、通路の両側に3列ずつ。この中でもまた機内食が出て、結局今日は1日が31時間になって4食食べたことになります。さすがに気分が悪いです。窓から見える景色は長閑なもの。日本だと平野部にびっしりと建物が立ち並んでいて、それを外れるとたまに送電線や道路が見えるくらいの鬱蒼たる森林地帯という感じで、狭い平野部に押し込められて暮らしている日本人の様子がよく分かるわけですが、ヨーロッパだと森、畑、家、がちょっとずつ繰り返されているという感じで、あまり密に人が住んでいる様子ではありません。
プラハ・ルズィニェ(Ruzynè)空港に到着。ここは割と小さい空港でした。しかしこんなところにも大韓航空が来ていて、韓国の航空会社は日本よりもはるかにネットワークを伸ばしているように思われます。チェコの首都だというのに、入管の規模も小さくてしょぼいです。日本の規模が万事異常なのでしょうけど。外に出て、1階の両替カウンタでユーロのトラベラーズチェックを崩してチェココルナを入手。交通案内のカウンタで聞くと、目的のヴィシェフラト(Vyšehrad)駅までは20コルナ、プラス荷物料金の10コルナを買えとの指示。外に出て道路を横断し、その先にバス乗り場がありました。乗り場Cに地下鉄A線デェイヴィツカ(Dejvickà)駅行きの119系統が発着。大型のルノー製連接バスでした。乗り場に自動券売機があって、20コルナの乗車券はわけなく買えたのですが、10コルナの荷物券に苦戦。20コルナのチケットのボタン横に20/10と書かれているので1回押したら20コルナ、2回押したら10コルナのチケットなのかと思えばそうではなく、右側のボタンを押すと10コルナに変わるのでした。表示器の説明を英語にも切り替えられるのですが、そういう細かいことは分かりません。まず右側のディスカウントボタンを押すとdiscountedなどと表示され、続いて20コルナのボタンを押すと10コルナという表示が出て、その時点でお金を入れると10コルナのチケットが出てお釣りも出ます。これが結構わかりづらく困りました。ちなみにしばらく放置するとキャンセルされてデフォルトに戻りますが、"STORNO"などと書かれているボタンがキャンセルボタンのようでした。
バスに乗車して中の打刻機で切符を有効化。20分ほど乗ってデェイヴィツカ駅到着。ここで地下鉄に乗車しました。先ほどバスの中で乗換可能な乗車券を有効化しているので、ここでは有効化しません。各交通機関で独立して運賃を徴収する日本のシステムは外部から来た人間には分かりづらいですが、ここのシステムはプラハ首都圏のバス、路面電車、地下鉄、ケーブルカーが一元的に管理されていて乗車券が共通なので簡単です。乗り継いでも再度初乗り料金を徴収されないので気軽です。これはいいですね。ムゼウム(Muzeum)駅でC線に乗り換えて、ヴィシェフラト駅に到着。Corinthia Towersホテルにチェックインしました。無駄にツインルーム。これで119ユーロです。プラハのホテルではそれなりに高級なのでしょう。失敗したのが、持って行こうと思っていながら忘れてしまった歯ブラシと歯磨き粉。備え付けられていませんでした。石鹸やシャンプーはあるのですが。またホテルの冷蔵庫に備えられている飲み物は異様に高くて、ファンタやコーラの類が130コルナ(約650円)とかします。しかしどうしてものどが渇いていてもう外に出る時間でもなかったので仕方なく1個取り出して飲みました。冷蔵庫は鍵がかけられるようになっていて、一度開けると客には戻せない仕組み。すなわち、何か買わない限りこの冷蔵庫で持ち込んだ飲み物を冷やすこともできません。
ホテルの英語版注意書きを読んでいて面白い発見。使えるクレジットカードのところにJTB(!)とあります。これは明らかにJCBの間違いで、国産クレジットカードもこんなところまで頑張って使えるように加盟店を開拓したものの、旅行代理店と間違われてしまうのがかわいそうなところ。また、室内のコンセントは220ボルトだと書いてある割に、チェコの法律では客室で持ち込んだ電化製品を使うことを禁止していますなどと書かれていて謎。それでは携帯電話やノートパソコンの充電すらできず、困るので結局見なかったことにして持ち込んだ変圧器をつないで充電を行いました。
今日はまる1日フリーなので、プラハの街中に出かけてみることにします。ホテルで朝食は付いているので、2階の食堂でバイキングの食事を取りました。それからホテルの目の前のヴィシェフラト駅から出発します。このホテルの北側はちょっと谷のような地形になっていて、そこを横断して南北に幹線道路の橋が架かっています。そして地下鉄のC線はその道路の橋の中を通る構造になっていました。つまり橋桁の中に線路が隠されていて、外から見てもそれが道路・鉄道併用橋であるとは分かりません。さらに異様に橋脚が細く見えます。そのあたりは地震がなくて耐震設計をサボれるがゆえなのでしょう。さて、ヴィシェフラト駅は対向式ホームになっていて、ホテル側からまっすぐ入れるホームがプラハ市街地中央方面。駅に備えられている自動券売機で20コルナのチケットを買って、ホームに入るところにある打刻機で有効化してやってきた電車に乗車。しかし1駅で降ります。イー・ペー・パヴロヴァ(I.P.Pavlova)駅でトラムの22系統に乗換。ここからかなり時間を掛けてプラハ城まで登っていきます。やはり車内で運賃の収受がないので実にスムーズに走ります。2両連結で後ろの車両には誰も係員が乗っていません。こういうことができるのが信用乗車方式ならではです。途中、ヴルタヴァ川を橋で横断し、狭い門のような場所を通過するために複線の線路が一旦単線に合流している箇所があってなかなか面白いでした。これは後で歩いて近くを通りかかった時にチェックしたのですが、完全に合流してはいない、複線の線路が同じ場所に重ねて敷設されているいわゆるガントレットでした。写真で見たことがあるだけのガントレットを生で見られるというのは運がよかったです。それもプラハ中そこかしこにあるわけでもないので。ここは架線の敷設高さも低いらしくパンタグラフを縮めて通過していました。対向列車との調整は信号機が付いていましたが、トロリコンタクタで作動しているのかどうかは分かりませんでした。先着優先制御は間違いないと思いますが。
プラハ城に近いポホジェレツ(Pohořelec)電停で降車。目の前にティコ・ブラーエとヨハネス・ケプラーの銅像がありました。ティコ・ブラーエはデンマークの天文学者で一時期プラハに在住して惑星の運行の精密な観測を行い、ドイツ人の弟子ケプラーがその成果を基に計算してケプラーの法則を発見してニュートン力学の基礎となりました。ここから歩いてゆっくり下っていきます。まず行ったのはロレッタ教会。入場料90コルナ。宗教的な儀式用の道具や像や絵画などが展示されていました。見れば圧倒されるような細かい装飾ですばらしいのですが、言葉で表現するのは難しいです。そこから少し歩いて下るとプラハ城の入口前の広場に到着。ここからはプラハの市街地を一望にすることができて素晴らしいです。ゆったりと流れるヴルタヴァ川の手前と向こうにオレンジ屋根の町並みが広がっていて、町中が博物館・美術館という感じです。よくもまぁここまで綺麗に街を昔のままに保存してあるものです。城の入口には衛兵がビシッと決めて立っていました。毎正時には衛兵交代式が見られるそうですが、それそのものはタイミングが合わずに見られず、代わりに交代した衛兵が広場を歩いていくところを目撃することができました。独特のスタイルの行進で3人が三角形の頂点の位置を守って通っていきました。プラハ城の中に入ること自体は無料で、その中にある教会や王宮を見るのに入場料が必要です。ところが、その教会が今日は日曜日でミサをしているとかで、観光客が入れるのは12時からとなっていました。それほど長くここで待っているわけにはいかないので、結局水曜日の午後に空いている時間にまたここに来ればいいやと思ってパスすることにしました。結果、王宮や黄金の小道も後回しに。裏門から出て下っていきました。
続いてカレル橋。土産物を売る人や似顔絵を描く人などがずらっと橋の両側に並んでいる橋です。両側にはずっと像が並んでいました。ここから上流側(南側)を見ると堰があって水が轟々と流れています。この右岸(東側)にはカレル橋の塔があって、50コルナ払うと上まで登ってカレル橋の様子を上から見たり遠くのプラハ城を見たりできます。この塔も石造りで中を螺旋階段でずっと回って上がって行くところが中世の城砦に入ったような感じがして面白かったです。
そして旧市街地を歩いていき、旧市庁舎へ。旧市街広場に面してシティホールと塔が立っていて、ここも50コルナで登ることができます。塔は、螺旋の坂道が中にあって、その中央が吹き抜けになっており、それを利用してエレベータが設置されていて上までエレベータで労せず上がれるようになっていました。それをわざわざ歩く人も結構いましたが。こちらも旧市街広場に面しているだけあって素晴らしい眺めでした。プラハ城で、オーストリアが任命した新しいボヘミア王が新教徒を弾圧する人間だったためにチェコ人プロテスタント貴族が反発して彼らを窓外に放り出して殺害した「(第2次)プラハ窓外投擲事件」(1619年)の結果、オーストリア軍とチェコ貴族軍が白山の戦い(1620年)を起こしますが、結果的にチェコ貴族軍は敗れて翌1621年にこの旧市街広場で彼らは処刑されました。塔の上から見下ろすと、すぐ下の広場に1621年に21人が処刑された位置を示す白い十字架が埋め込まれているのがわかります。また、広場の北側にはヤン・フスの像があります。ヤン・フスは宗教改革の先駆者だそうですがやはり同様に処刑されたとか。それに関するのが第1次プラハ窓外投擲事件(1415年)だそうです。火薬塔を通って、プラハ・マサリコヴォ(Praha Masarykovo)駅へ。
プラハ・マサリコヴォ駅へやってきたのは、チェコまでやってきたからには是非チェコ鉄道(ČD)に一度乗ってみなければ、と考えていたからです。ウェブで手に入れた地図を眺めて、コリーン(Kolín)というプラハから東に少し行った街まで乗ってみる計画をあらかじめ立ててありました。駅に入ると、所々の壁に分散して時刻表が張り出されており、また路線図、出発到着時刻表なども並んでいました。黄色いポスターのような掲出物が出発時刻表でした。路線図には区間ごとに路線IDを示す番号が振られていて、その番号の時刻表のところへ行くとその路線の駅別の詳細時刻も見られます。なかなか外国人にも分かりやすい方式です。自動券売機の近くに距離表が張り出されていて、コリーンまでは62kmと判明。しかし、行き先としてコリーンを選定した理由は、そこまでの線路が二通りあって、できれば行きと帰りで異なる経路を取りたかったのでそういう場所を探したからです。行きは、ニムブルク(Nymburk)を経由する遠回りの経路で行きたかったので、窓口で14時50分のコリーン行きでコリーンに行きたいと英語で説明したものの、「それは遠回りだから15時38分に乗れ」と言われて強制的に最短経路の乗車券を発券されてしまいました。乗車券システムが分からないのでそもそも最短経路以外の乗車券を発券できるのかどうかも分かりませんが、仕方なしに行き帰りを同一経路に乗車することに。それまで時間があるので、駅の売店で忘れずに歯ブラシと歯磨き粉を調達しておきました。また7番線くらいまである頭端ホームを歩き回っていろいろと写真撮影。遠くからDE10みたいな、ようするにセミセンターキャブのディーゼル機関車が客車を引いて入線してきました。すると前から気になっていた奥の方にいた凸型電気機関車が動き始め、同じ番線に入ってきて後ろに連結。要するに回送用の機関車だったわけです。これが全てねじ式連結器で日本ではもう保存鉄道(明治村とか)でしか見られないだけに貴重です。
15:38の列車は、コリーンよりもう少し先にあるパルドゥビツェ中央駅(Pardubice hlavní nádraží)まで行きます。どうもチェコ語ではhlavníが中央、nádražíが駅を表しているようなのですが、その割にメトロ(地下鉄)の駅はstanice(スタニツェ)という言葉が使われていて何か区別されているようでした。中央駅は時刻表などではPardubice hl.n.などと略されています。乗車したのはJR東日本の215系によく似た、フルダブルデッカーの電車でした。中の座席配置や台車上だけ1フロアになっていることなどまでそっくり。しかし低床ホームにあわせてドアがダブルデッキ部分の1階に付いているのが215系と違います。ですので1階部分に乗車する限りバリアフリーに近いです。当然のように2階席を占拠。LED式の案内機が装備されていて、英語こそ表示されないものの外国人にも分かりやすいです。窓ガラスが多少汚れていたのが残念。車両自体激しく落書きで汚染されていて、これはチェコ滞在期間中あらゆる建築物や電車が落書きの被害にあっていて特徴的でした。
プラハ・リベニュ(Praha Libeň)駅で、プラハ中央駅(Praha hlavní nádraží)からの線路と合流。北側に貨物ヤードと思われる施設が見えて、ハンプもありました。これはもう日本には無い施設ですので、私は初めて見ました。貴重な体験です。乗車した列車は各駅停車なので頻繁に止まりながら進むものの、駅間は結構な高速に達し、キロポストと腕時計を見ながらカウントしていると116km/hくらいまで達していました。それくらい飛ばしてもそれほど揺れはひどくなく、さすがに標準軌です。綺麗に整備されて道床も厚く盛られPC枕木で固められています。ポリーチャニィ(Poříčany)まで3線区間でした。どういう使い分けをしているのかは謎。しかし、例によって単線並列タイプのようなので自由自在に使っているようです。対向列車も何本か見かけて、中にはペンドリーノタイプの特急列車もいました。
やがてコリーン駅に到着。ここではとりあえず折り返しプラハ中央駅までの切符を購入。駅構内にたくさんの貨車が留置されていて貨物好きの私にはたまりません。いろいろと写真を撮って歩きました。後でS大先生に「チェコ鉄道の貨物は外国の貨車がほとんどいないから詰まらない」と言われてしまいましたが。それでも、おそらくニムブルク方面からと思われる線路から30分足らずの滞在期間に2本の貨物列車がやってきて走行しているところも見られました。ねじ式連結器なのにものすごく長い貨物列車で日本ではとうの昔に絶えた一般型貨物列車なので実に見ていて楽しかったです。また、滞在中にハンブルク発ブダペスト行き国際特急列車というのもやってきました。電気機関車牽引で実に長い客車列車。ハンガリー鉄道の客車のようでした。今度乗る列車は列車番号がRで表記される急行列車。急行に急行料金が必要なのかどうかわからなくて不安だったのですが、ホームにいた係員に切符を見せたところ(行きと同じ88コルナの普通乗車券)、英語は通じなかったもののそのR列車が来る線路を指してそこに乗れと言われたので、問題ないと判断。やってきたのは電気機関車牽引の長編成客車列車。しかもコンパートメントタイプでした。混んでいてコンパートメントには入らず、通路で窓を開けて外の風を楽しみました。緑の客車の中に1両だけ赤い客車が連結されていて食堂車のようです。一度は試してみたいものですが。こちらは急行で途中の駅に止まらないので行きにも増して爆走。しかもかなり高番数の分岐器を使っているので曲線分岐にも容赦ない高速で侵入し、それでも乗り心地を害しません。しかしチェスキー・ブロド(Český Brod)駅で先行の普通列車と並んで停車して抑止されてしまいました。なにやらトラブルが発生したようですが、チェコ語のアナウンスしかないので意味が分かりません。20分以上そこで抑止された後、動き出しました。駅を出たところで3線の中線に転線。ひょっとして運転線路変更の運転整理をしたのでしょうか。しかも対向のペンドリーノ特急列車がこちらの通過を待って抑止されているところも目撃しました。この程度のトラブルであれば面白い体験と言えるでしょう。やがて中央駅に到着。ヨーロッパの都市の中心駅にしては頭端駅ではなく通過方式。地下道を通って表に出ましたが、近くはそれほど繁華街ではなくちょっと拍子抜けでした。街が既に出来上がっていたので鉄道を通せず郊外に駅を設置した事情があるのでしょう。日本でも似たような例がいくつもありますしね。デジカメの電池が切れそうだったので、中央駅の売店で単3アルカリ乾電池を購入。
ホテルに戻って、ホテルの食堂で夕食。それなりに高級なところなので多少の費用は覚悟の上です。何しろどこでどのようなものが食べられるのか全く分かりませんから。パスタを頼もうとしたところ、なぜか「それはパスタだ。ピザを頼め」と言われてしまい、意味不明のままピザを食べることに。220コルナで1枚のピザが出てきたので値段的にはそんなものかとは思うのですが、1枚も1人で食べられるわけが無く。どういう趣旨だったのかよく分かりません。
いよいよ学会の開幕。主催者がオープニングで主催団体の紹介を長々としてしまい、いきなり10分遅れでセッションが始まるという有様。しかも発表中止や追加の発表が多くて、事前に渡されたプログラムはあまり役に立たないという状態でした。このプログラムですら1週間前にやっと送られてきたものなので、こんなにドタバタしていい加減な主催者だなと思ってしまいます。英語は、非常に聞き取りやすい人と聞き取りづらい人の2択でした。後者の方が多いのは私の能力不足ですが。しかも私が事前に期待していた発表はキャンセルされてしまい聞けないことになってしまいました。私の発表も午前中に予定されていたのですが、発表中止の影響を受けて時間が繰り上がりました。運がよいことにチェアマンがS大先生だったので、発表した時に質疑応答で相手の質問を全く聞き取れなかったにもかかわらず先生が教えてくれました。それが無ければとても答えられませんでした。
昼食は昼食券を渡されていてホテルの食堂で調達。チキンが出てきました。ちょっとげんなり。
発表を終えてしまうともう気軽なもので、午後は気楽に聞いていることができました。割とスケジューリングがひどくて、聞きたいものが無いセッションしかない時間帯と、2つのセッションで並行して聞きたいものがある時間帯とがあります。割とそのあたりがこの学会は昔からひどいのだと先生から聞かされました。セッションへの割振りも、全然関係なさそうなセッションに振られている発表があったり、全く同じ分野の研究なのに違うセッションに分けられていたりと、何も分かっていない人が決定しているのだろうと思われます。これは結構ひどいですね。
夕食は、もうホテルのレストランは嫌だと会場で出会ったT先生、M先生とそこの学生の合計4人一緒に外に出ることにしました。この人たちは結局会場のホテルに泊まらなかったらしく、外で安いところを探したそうです。バイタリティがあるものですが、ホテルに空調が無くて非常に暑く大変だとか。どこに行くか相談して、地下鉄C線で2駅のムゼウム駅(A線との乗換駅)に行ってみました。ムゼウムというのはミュージアムのことであり、国立博物館があります。ここの前がヴァーツラフ広場。広場といっても道幅の広い通りといった感じです。プラハの春を弾圧したワルシャワ条約機構軍の戦車もここに乗り入れ、ビロード革命の時にはここに市民が集まって団結を示したという、チェコの歴史が動く時に必ず登場すると言ってもいい場所だそうです。その歴史の舞台となる広場には多くの屋台が出ており、その端の方に路面電車の車体を調理場にしている面白いカフェがあったのでここで休憩しました。メニューの右ページに料理やドリンクが書かれており、左ページには路面電車の写真が入っている、鉄道ファン向けの店のように思えますが、日本ではありえなさそうなことに、このメニューに使われていた路面電車の写真のほとんどが事故写真というシュールなものでした。トラックと衝突してトラックの車輪が歪んでいる写真とか、鉄道線の蒸気機関車と衝突しているところとか(ということはどこかに鉄道線との平面交差がある?)。
T先生は学会のサイエンティフィックコミッティーに参加するために先に帰り、他の3人で本格的に食べるためにヴァーツラフ広場脇の地下にある店に入りました。シーフードパスタというおよそチェコらしくない(チェコには海が無いのです)を頼んでしまったのは、肉ばかり食べさせられていて飽きてきていたからです。これがまた値段の割りにものすごい量のパスタ(マカロニですが)が出てきて、単調な塩味の味付けに飽きてしまいます。結局食べきれず。ビールはここではミネラルウォーターよりはるかに安いというのが面白いところです。ちなみにホテルのレストランで75コルナするミネラルウォーター(AQUILLAというブランド)はこういうレストランだと45コルナ程度で、さらにチェコ人が普通に出入りするスーパーに行ってみるとわずか10コルナでした。しかしうっかりスパークリング(炭酸入り)のものを買ってしまい、これはとても私の舌には合いませんでした。他に気軽にヨーグルト(日本のものと同じようにパックに入っているイチゴ味のもの)を買ってみた(12コルナ)ものの、スプーンがないということにホテルに帰ってから気づきました。流動性が高かったので開けて流し込みましたが。味も全く日本で売られているものと同じでした。
今日も1日セッションを聴講。セッションの種類によって分かりやすさが違います。やはり自分の専門分野に近いと、英語も聞き取りやすいです。午後のセッションは結構聞き取れました。しかし、英語ネイティブではない国の人たちにとってはヨーロッパ人であっても結構英語は大変なようで、ものすごい訛り方をしている人がいてこういうのは聞き取るのが非常に大変でした。ドイツ人やスペイン人などが自国言語の読み方に引っ張られてローマ字読み的に単語を発音していることがあって面白いところ。割と分かりやすいのはスイス人とデンマーク人の発音でした。イタリア人の発音は分かりやすい人と分かりにくい人に2分されます。フランス人のはフランス語にしか聞こえません(苦笑)。ちなみに日本人以外でも原稿を読んで発表している人がいました。また、プレゼンテーションのスライドの作り方がうまい人もいるにはいるものの、事前に想像したように外国の人はプレゼンがうまいという印象にぴったりくるほどうまいとは感じませんでした。スライドにずらずらと文字をいっぱいに書き並べている人も多く、まずそういうスライドは図にしてしまえと散々日本で言われて図を工夫するようになった私からするとひどいのですが、今回のように英語がネイティブでない人が多いところだと発表する側も読むだけで発表ができ、聞く側も聞き取れなくても読めば分かるということで、逆にこうした発表の方が分かりやすいともいえなくもありません。短時間でその英文を読めればですけれど。
この日も結局夕食はヴァーツラフ広場。この広場の周りは食べるところがたくさんあります。今日はビーフステーキを頼んでみました。大量の付け合わせや別の皿で茹でたポテトが付いてきてやはり法外な量が出てきます。肉はやはり硬くて日本で食べるようにはいかないのですが、それでも美味しく、日本人的な発想で思わずご飯を食べたくなってしまいました。やはり海外では美味しいご飯が食べられないのは痛いところです。
私が泊まったホテルはそれなりにプラハでは一流のはずなのに、エレベータの質が酷いのが印象的でした。物凄い音を立ててガシャーンと扉が閉まるので、日本で普通にやっているように手を差し込んで扉が閉まるのを止める気にはとてもなれません。その上、一度は11階に登るためにエレベータに乗ったところ、途中9階くらいでかごが揺れて止まり、今度は逆に下り始めました。正直下まで落ちてしまうのかと思いましたが、3階に止まって扉が開きました。誰も3階を押してないのにわけが分かりません。その後も11階から下りのエレベータに乗ったのに一旦12階を経由して下の階に行くなどの挙動もあって、酷いものです。ちなみにメーカは世界最大手のOTISでした。旧社会主義国だけに整備レベルが低いのでしょうか。
今日は午前中のセッションだけで終わりです。私は夕方の飛行機でチューリッヒに移動するので朝ホテルをチェックアウト。事前にユーロ建てでの値段を知っていたので覚悟していたものの、それをチェココルナに換算した料金をレシートで見せられると少々驚愕するほどの額になってしまいます。さすがに5つ星ホテル。安く探した3つ星くらいのところに泊まっている人に聞いたところ、ホテルの部屋にクーラーが無いそうで、そういうところにも差が出てくるのでしょうか。しかし日本だと安いビジネスホテルでも空調は常識ですけどね。ホテルに関しては日本の方が格段に恵まれていて安いと感じます。もちろん日本のそういうホテルの部屋は狭いですけれど、別に広いからどうというわけでもないですし。このホテルにはインターネット接続回線が一部の部屋に導入されていて私の部屋にもありましたが、この1日単位での使用料が馬鹿高く、それだけ払うと日本ではインターネット接続回線無料のビジネスホテルに1泊できるという額です。そのあたりのサービスクオリティは日本はさすがです。また日用品の品質なども日本は非常に高いと思います。
午前中だけのセッションなので逃げる人がたくさん出るかと思いきや、意外にたくさんの人が聞きに来ていました。しかしやはり逃亡者も何名か発見。結局めぼしい日本人はみんな途中でいなくなってしまい、残っていた工学院大のT先生と一緒に昼食を取ることにしました。今日は割と涼しい日で、ホテルの外のテラスで昼食を取りました。昼で終わるのになぜか最終日のランチチケットも主催者がくれたのでタダです。昼食時間中は最近のコンピュータ関係のニュースに付いて盛り上がっていました。また、昼食中にもホテルからみえる下の三角線を頻繁にチェコ鉄道の列車が走っているのが見えました。
昼から、夕方の飛行機の出発時刻まで少し余裕があるので、ミサをやっていて日曜日に入れなかったプラハ城の聖ヴィート聖堂を見なければと行くことにしました。さすがにスーツケースを持っていくわけには行かないのでホテルのコンシェルジュに相談したところ、ちゃんとそういう目的のために預かる係と部屋が用意されていて無料で預かってくれました。そのあたりはさすが高級ホテル。ただし、チェコはチップの習慣があるので引き取る時に20コルナほど渡したところ喜んで、荷物を持ちましょうと言ってくれました。割とこういうのは重要ですね。ちなみにちゃんと枕銭も毎日置いておきました。
日曜日に行った時にはわけが分からなかったので日本で調べた通りの行き方で、イー・ペー・パヴロヴァ駅で22系統の路面電車に乗り換えて行ったのですが、これは割と時間が掛かるのでムゼウム駅で地下鉄A線に乗り換えて、マロストランスカ(Malostranská)駅で22系統を捕まえてプラハ城まで行きました。今日は勝手が分かっているのでかなり速いです。ところが、聖ヴィート聖堂のチケット売り場の女性が分からず屋で、220コルナのチケットを買うのに1000コルナ札を出したところ、20コルナ硬貨を付けなければお釣りが綺麗にならないので売らない、どこかで変えてこいと追い返されました。これはなかなかひどい取り扱い。後で見ていると他の客も同様にあしらわれていて、これは要するに多少釣銭があまったらチップとしてくれと暗に要求しているも同然ではないかと思います。結局近くでミネラルウォーターを買って何とか20コルナを作ってチケットを購入しました。聖ヴィート聖堂はステンドグラスがとても美しい教会で、それは素晴らしいものでした。これを見逃して帰ったら駄目ですね。また地下に降りられるようになっていて、古代の遺跡(聖堂の構造を支える骨組み)と遺体安置所(納骨所)を見ることができました。南側の尖塔にも登ることができて、289段あるという階段を延々と登って行きました。この階段が非常に辛くて、石積みのらせん階段が果てしなく続きます。しかも非常に狭く、降りてくる人と行き違うのも大変です。電灯が付けられているものの薄暗く採光窓が小さいので換気も悪くて暑く、非常に半径の小さならせん階段を延々と登るのは精神的にも辛いものがあります。しかし登った先の景色は非常に素晴らしいもので、遠くのプラハの町並みから近くの城内の様子まで手に取るように見えて、これは登らずに帰る手は無いと思いました。続いて王宮。ここは中はだだっ広いホールと、小さな教会を後ろから見下ろす場所があるくらいですが、外のテラスからの光景がまた素晴らしいです。ここは窓外投擲事件という歴史的イベントがあった場所だそうで、オーストリアから来た代官とカトリックの僧侶の横暴に反発したチェコ人貴族たちが窓から外に放り出したというところ。それをきっかけに30年戦争が始まったのだそうです。その窓の近くに放り投げている様子を描いた絵がおいてありました。黄金の小道というところも有名な場所ですが、剣や銃、甲冑などを展示した場所がある他は土産物屋な並んでいるくらいです。
見学を終えて、チェコ鉄道の中央駅へ行ってS大先生から10コルナで売っているよと教えてもらったチェコ鉄道の全列車が収録された時刻表を手に入れようとしたのですが、先生の助言通り中央駅のような大きな駅だと売られている窓口が極めて限られていてそれを探し当てるのに手間が掛かるから小さい駅へ行った方がよいということだったようです。結局インフォメーションセンターと窓口でたらいまわしにされて手に入れることはできませんでした。一方、バスや路面電車の系統図を正確な地図の上にプロットしたものが35コルナで売られているという話も聞いたのですが、こちらは地下鉄のインフォメーションセンターで無事購入することができました。こういうものがあると実に楽しいです。チェコ鉄道の時刻表が手に入らなかったのは非常に心残りではあります。
来た時と逆の道をたどってルズィニェ空港へ。硬貨が残っていなくて、切符を買うのが大変です。というのも、メトロの駅に設置されている自動券売機は紙幣も50コルナ硬貨も受け付けないからです。もともと流通している紙幣が非常にくちゃくちゃになっていてこのような環境では紙幣を受け付ける機械を作ってもろくに使えないのではないかと思います。その点日本人は綺麗に紙幣を使っているので自動化もしやすいということなのでしょう。これは、荷物を受け取りに来たのでホテルから出発したわけですが、ホテルのコンシェルジュがメトロの切符を持っていて手作業で売ってくれたので助かりました。両替も普通はしてくれないところが多いので、結局何か買ってお釣りをもらうか手作業でメトロの切符を売っているところで紙幣を使わなければ、メトロに乗ることができません。これは非常に不便という他ありません。コインが無ければ非常に暮らし辛い社会です。この点は日本が気が狂ったように便利すぎるのだとT先生はおっしゃっていましたけれど。
ルズィニェ空港でやっとまともなお菓子のお土産を発見して購入。というのも、プラハ城や旧市街のお土産屋ではガラス細工やキーホルダー、マグカップのようなお土産しか扱っていなくて、日本の観光地でよくあるような御当地お菓子というものが全く無く、職場へのお土産に苦心していました。空港では結構扱っていたので助かりました。もっとも、うっかり選ぶとベルギー産を引いてしまうので、慎重に裏面の原産国を見てチェコ産を選びました。もっとも、買ったのはチェコ産ではあってもネスレのチェコ現地法人製なので企業の国籍はスイスなのでした。
空港の両替所で残ったチェコの通貨を全部次のスイスフランに替えてしまおうと申し込みました。通常両替は紙幣しか受け付けないので800コルナ残っていた紙幣を全部渡したところ、あと8コルナあるかと聞かれて渡したところちょうど40スイスフランに替えてくれました。これは親切ですね。しかも40スイスフランを全部紙幣で渡さずに使いやすいようにお札と硬貨を適当に混ぜて渡してくれたので、非常に気が利いていて聖ヴィート聖堂の切符売り場とは大違いでした。これで残ったチェコ通貨は硬貨だけで77コルナ。さてどうしたものかと出国手続きを済ませてから売店を見たところ、英字新聞を75コルナで売っていたので買ってみました。イギリスのデイリー・テレグラフ紙。英字新聞はまた独特な文章の書き方なので読むのが大変です。日本経済新聞も売られていたのですが150コルナとかして買えませんでした。さすがに欧州で印刷はしないでしょうから日本から空輸しているわけで、これだけ高いのもむべなるかなです。むしろ日本からの直行便が無いプラハでよく扱っていたものです。
チューリッヒに移動するスイス国際航空の飛行機はBritish Aerospace AVRO RJ100型機という全く見たことの無い機材で、しかも高翼形式でした。座席は通路の左に2列、右に3列。機内食は正式なものではなくサンドイッチのようなものをくれました。余りが出たらしく要る人はいないかと回っていたのでもう1つもらって夕食代わりにしました。機長はスイス人らしく、ドイツ語でアナウンスした後に英語でアナウンスしていましたが非常に早口でほとんど聞き取れませんでした。スイス人の英語は普通分かりやすいのですけどね。
チューリッヒ国際空港に到着。入管で日本のパスポートを渡すとろくにチェックもせずに入国させてくれました。本来スイス入国には帰国の航空券を提示するか航空券を買える現金やトラベラーズチェックなどを持っているか現地での身元引受人が必要とあるのですが、日本人は信用されているのか全くチェックしませんでした。このあたりは日本のパスポートの強力さを実感します。割と広い空港で、ルズィニェと違って分かりにくいのですが空港へ直接鉄道が乗り入れているのは便利です。切符の買い方が訳分からなかったのですが、英文の説明が付いていたのでやっと理解。自動券売機にはテンキーのようなものが付いていて、横にある駅名リストからコード番号を拾って入力するシステムでした。もっとも下にチューリッヒ中央駅などはショートカットキーが付いていましたが。ここはクレジットカードも受け付ける機械があり、紙幣も(チェックしていないですが確か20スイスフランまでだったと思います)受け付けるので、チェコよりも格段に便利です。スイス人はより紙幣を丁寧に扱うのでしょう。プラハで両替した紙幣も綺麗です。案内板の時刻を見てホームを調べ、降りていくと怪しい機械が。例によって改札口の無い信用乗車方式なのでどこかで有効化しなければと思うのですが、この機械がそれかは自身がなく何も説明が無い(英文どころかドイツ語でも何も書いてない)ので不安でした。周りの人も全く無視して歩いていますし。しかしやっとこの機械で有効化している人を見つけてその人に倣って自分の切符を有効化。スイス連邦鉄道に初乗車となりました。チューリッヒ中央駅まではわずか10分ほど。地下のホームに到着し、地上に出てみると余りのその巨大な駅にびっくりしました。一体いくつ番線があるのでしょうか。駅から徒歩5分とある予約してあるホテルを探すのですが、地図などが全く無くて往生しました。1時間近くうろうろして3回スイス人に道を尋ねてようやくたどり着きました。チューリッヒも結構暑くて汗びっしょり。しかも3つ星のホテルにしたらやはりエアコンが無くて大変です。
スイス、チューリッヒにやってきました。メールで連絡を取って、あらかじめ見学を依頼した相手には、チューリッヒ中央駅に9時に来いと言われていました。駅から歩いて5分くらいの場所にホテルを取ったので、朝食を取ってからかなり余裕を見て駅へ。ヨーロッパにありがちですが、チューリッヒ中央駅は頭端駅で、地上に1番線から18番線までずらっと線路とホームが並んでいます。さらにその奥に50番台の番線があるようですが、行ってないのでよく分かりません。この他に地下に4つの番線があるので、相当な規模です。地下の番線はスルーの構造。この地下のスルーの番線と50番台の番線をS-Bahnという近郊列車が使っていて非常に頻繁に運行されています。一方で地上の1番から18番の番線は長距離列車が使用していて、機関車牽引の列車が多いので入換機関車がやってきて反対側に連結されて引っ張って回送して行ったり、推進運転で引き上げて行ったりしています。かなり容量は低そうです。チューリッヒの人口は36万人程度でしかないので、それを考えると非常に大きな規模の駅です。鉄道荷物輸送がまだよく行われているのか人の多い構内を運搬用のカートが行き来するのが印象的。ドイツからICEがやってきたり、スペインからタルゴ客車を使った寝台列車がやってきたりしていました。スイス連邦鉄道所属の4軸の赤い大型電気機関車はかっこいいですね。古いタイプは武骨な感じ、新しいタイプはいかにもスマートです。
相手と合流。見学行程を事前に知らされていなかったのですが、渡されてびっくり。初日は23時30分まで行程が組んであります(苦笑)。プラハでの学会で会った日本人の知り合いに見学の話をしたところ、「スイス人のことだから徹底した行程に違いない」と言われたのですが、まさにその通りでした。一緒にインド人も見学するということだったのですが、彼は10年アメリカに住んでいたと言っており、英語はペラペラでほとんど向こうだけで話題が進んでなかなか付いていくことができませんでした。また見学相手がフランス系の人間だとやはり私の英語能力ではほとんど聞き取ることができませんでした。ドイツ系の人間の英語はかなり聞き取りやすいです。それでも、やはり話す方は全く追いつかないので一方的に聞いているばかりの時間が多かったです。話題も割と多岐にわたっていました。雑談をしている時に日本の新幹線の話になり、「『ひかり』は光の意味、『こだま』は音の意味で、光が音より速いから名付けられた。光より速いものは何も無いが、人間の望みならそれより速いだろうということで新しい種別は『のぞみ』になった。」と説明したところ、「相対性理論は何者も光の速度まで加速することはできないとは言っているが、光より速いものはないとは言っていない」と突っ込まれてしまいました。確かにそうです。その後ジュネーブにニュートリノ使った実験設備があるとか何とか物理話になって完全についていけません。そういえばアインシュタインはベルンの特許局で事務員をしていたのでした。
スイスの首都ベルンに移動した後に多少の時間を利用して街中をうろうろ。もうだいぶ暗くなってきていて(この時期21時過ぎまで日が沈まないのですけれど)写真撮影はあまりできませんでした。ベルンの地形は川が三方を取り巻くように流れていて防御を考えてこの地に町ができたものだそうです。ベルンの語源は熊ですが、ベルンの紋章、旗にも熊が描かれていて、あちこちに掲げられていました。連邦政府があるという建物を見たのですが、その周りを取り巻くように大銀行の建物が並んでいて、「ベルンで本当に権力を握っているのが誰かをよく示している」と語っていました。なるほど。あちこちに路面電車とトロリーバスが運行されていて、本当に公共交通がよく発達しています。人口が13万人しかない町でこの公共交通サービスは本当に驚異的です。路面電車の停留所に一緒にトロリーバスも発着できるようにされていて、路面電車はレールをグラウンドにして走行しているのに対してトロリーバスは架線を2線式にして走行するので、路面電車用の架線とトロリーバス用の2本の架線が並行して張られているのが面白いところでした。
結局チューリッヒに帰り着いたのは予定通り23時30分。ベルンから引き上げる時は、ベルン-オルテン間の高速新線を経由しました。200km/hで走行可能な新線であるものの、現在は旧来の信号システムを利用していて160km/hであるとのこと。
今日もスイス国内で見学活動。相変わらず今日も20時までのプランが組まれております。チューリッヒ駅8時から行動開始。12時間もの間英語での話を聞き続けるのは少々辛いです。疲れるとやはり全然英語は聞き取れなくなりますね。今朝は一晩眠って回復していたのでかなりマシでしたが、しばらくするとやはり疲れてあまりわからなくなりました。
チューリッヒからルツェルンへ向かう列車に乗って、途中のツーク駅(Zug: これってドイツ語で「列車」っていう意味なんですが、列車駅とは何ぞや)で降りて見学先へ。スイスは連邦で各州(州のことをカントンと呼ぶ)が大きな権限を握っていますが、ここはツーク州といって非常に小さな州だそうです。ですがそれゆえに公共交通にあまり金を掛けずに済むこともあって(公共交通は本当に高く付くと言っていました)お金持ちだそうです。だから税金も安いとか。またここへ向かう時、チューリッヒから長いトンネルを経由。後で調べてみると、ツィンメルベルク(Zimmerberg)トンネルで、アルプトランジット(Alptransit)計画の一環として掘られたものが供用されているものでした。アルプトランジット計画は、スイスを南北に縦貫してドイツとイタリアを結ぶ回廊を通る交通量が激増し、環境問題からスイスがトラック通行を規制してEUと摩擦を生じたために始まった、貨物輸送の大部分を鉄道に移すことを狙って大幅に南北回廊の鉄道の容量アップを図る計画。このために一番重要なのがゴッタルト峠をほとんど登らずに通過するゴッタルトベース(Gotthard Base)トンネルであり、現在掘削中ですが完成すると全長57kmで青函トンネルを抜いて世界最長の鉄道トンネルとなります。現状のゴッタルト峠は峠をかなり登ってからトンネルでクリアする(それでも全長15km)ので標高1150メートルもあり、2両の機関車で貨物列車を牽引してさらに後補機を1両つける難所です。それに対して新トンネルは標高550メートルを水平に貫くので、大幅に容量アップになるのもむべなるかなです。これに付属して南側にツェネリ(Ceneri)トンネル、北側にツィンメルベルクトンネルが計画されており、このうちツィンメルベルクトンネルのうち第1期区間が既に開業して供用されています。第1期開業区間を抜けるとタルヴィル(Thalwil)駅にでますが、出る直前に右側にさらに継続工事を進められるように準備されている部分が見えて、第2期工事はここからさらにツークの駅の直前まで延ばす予定だとか。でも今のところ金銭的な問題で工事はしていないそうです。この他に、もっと西側で南北交通回廊を形成するレッチェベルクベース(Lötschberg Base)トンネル(全長34.6km)も建設中。これらの峠を通る旧線は絶景で知られますが、新トンネル完成後も残されることになっているので鉄道ファンとしては嬉しいことです。そのうち是非乗りに行きたいものです。
今日は余った時間を利用してチューリッヒ市内をうろうろ。ツヴィングリが宗教改革をするために聖書をドイツ語に翻訳したという教会などを訪問しました。それにしてもチューリッヒはベルンにもまして公共交通が発達していて、ほとんどいたるところに路面電車が走り回っています。これは本当に凄いです。カフェでゆっくりしながら、今回付き合ってくれたスイス人と談話。政治の話とか出てくるのでなかなか付いていくのが難しいです。
1週間にわたる欧州滞在を終えて帰国の途に。帰りは飛行機がうまく取れなくて、朝7時35分にチューリッヒを出るかなり早起きな行程になってしまいました。チューリッヒ中央駅からチューリッヒ空港駅まではわずか10分ほどなのでこれも可能です。駅から5分の場所のホテルに泊まりましたしね。またきっぷは昨日のうちに買っておきました。というのも、チューリッヒ中央駅からチューリッヒ空港駅までは5.8スイスフランですが、倍の11.6スイスフラン出すとチューリッヒ近辺の路面電車などの1日乗車券になるということだったので、昨日うろうろする時にその手で買っておきました。翌日の同時刻まで有効だそうで、チューリッヒ空港への普通鉄道での移動にも使えるというのがミソ。鉄道と市内交通が統合されていない日本では考えづらい切符の買い方です。
チューリッヒ空港でのチェックイン手続きはなぜかかなり手間取って、結局残ったコインを消化してお土産を買うなどの行為はほとんどできず。しかしよく発券されたチケットを見ると席番が1FでしかもクラスにC(つまりビジネスクラス)と書かれています。おおっ、これは席数不足などの航空会社の事情によるビジネスクラスアップグレードだと思って喜んだのですが、搭乗した機材はビジネスとエコノミーで座席に差がないものでがっくり。機内サービスに差があるのでしょうか? よくわかりませんでした。ちなみに機材はBAe146-200というもので、これまた高翼機でした。パリ・シャルルドゴール空港経由ですが、一旦かなりシャルルドゴールを行き過ぎてから戻ってきて着陸。航路の都合でしょう。自分のすぐ下にシャルルドゴール空港が見えるのに一向に降下しないのでちょっと不思議でした。相変わらずフランスなまりの英語は聞き取れません。
シャルルドゴール空港はテロ騒ぎの影響か大幅にセキュリティが強化されていたようで、かなり並ばせられました。あれだけ沢山のゲートがある地区に2台の金属探知機では混雑して当然です。中の免税店で多少土産を買い足して、関西空港行きの乗り継ぎ便に乗り換えました。
搭乗するとすぐに7時間時計を進めて日本時間に戻しました。まもなく夕食としての機内食が出て、15日は行きの08日と反対に1日2食ということに。コースも行きとほとんど同じでした。
7時間の時差をものともせず普通にぐっすりと機内で寝て、日本時間で6時頃に起きました。やはり日本海上空横断コースではなく中国、韓国上空経由で関空にアプローチ。朝食としての機内食が出されました。ところが、ちょうと山東半島と遼東半島の間を抜けている時に猛烈な乱気流に巻き込まれて結構大変な目に。既に機内食が出されていたところでは皿が宙を舞っていました。立って供食を行っていた客室乗務員もその場で座り込んで必死に耐えるのみ。周りにいた乗客が協力してカートが飛んでいかない様に押さえ込んでいました。ゆれた瞬間には悲鳴も上がったものの、割と皆冷静でシートベルトをきつく締めて対処していました。かなり長く乱気流に巻き込まれていて一時はどうなるかと思ったものの何とか抜け出し、供食も再開されました。あれだけ揺さぶられても皆すぐに立ち直って平然としているのが素晴らしいです。子供がいたらギャーギャー騒いで大変だったのではないでしょうか。
関西空港に着陸。周りから一斉に拍手が上がって、やはり乱気流が相当怖かったのでしょうね。検疫、入管、税関とクリアして外に出てきました。パスポートには結局チェコ出入国と日本出入国の記録が残るのみ。スイスは結局全くパスポートに記録をつけませんでした。帰国時に至っては、前の人間は念入りにパスポートをチェックしていたのに日本のパスポートを見せた途端手にとりもせずに「コンニチハ、ドーゾ」と言って通されました。これはあまりに緩いのではないかと。ほとんどシェンゲン協定状態。
帰りはJRの関空快速を利用。一本目がJR難波行きという不運で結局これを見送って次の大阪直通を利用しました。自室に帰って荷物を処理し、やっと一息。日本の食事は本当に美味しいです。
今日は祝日で休み。昨日までの欧州出張の整理をしていました。いくら使ったかとかを計算していたのですが、使用通貨が円、チェココルナ、スイスフラン、ユーロと4種類あるので割とどうやって帳簿につけるかは面倒なところです。会社に出す正式な書類としては会社に行ってからやり方を聞かねばなりませんが、個人的につけている出納簿にも付けるのが難しいです。
マイルの口座も確認。プラハ-チューリッヒ間だけスターアライアンスのスイス国際航空だったので、プラハでのチェックイン時にANAカードを提示したところ、確認したらちゃんと318マイル付いていました。しかし東京-大阪とほとんど変わらないですな。しかも、プラハの空港にいた職員が全然ANAのことを知らなくて、「これはどこのカードだ、ルフトハンザか?」とか言っていてちょっと苦笑。どれがマイレージの番号なのかもよく分からなかった様子。ここにANAカードを持ってくる人間は全然いないのでしょうか。
クレジットカードの請求の方もオンラインでチェックしてみると、チェコで使った分がちゃんと計上されていました。CZK(チェココルナ)という記号で使用額が付いています。スイスでは結局クレジットカードは一度も使わなかったのでスイスフランでは計上されていません。チューリッヒのホテルは楽天トラベル経由で予約したら、結局そちらから円で決済して済んでしまったのです。楽天トラベルで予約できるからかどうか、行ってみるとやたら日本人が多く泊まっているホテルでした。チェコでは東洋人顔を見てもほとんど中国人と韓国人で日本人は非常に少なかったのですが、スイスでは日本人が多かったです。なぜでしょうか。
JALが1社化記念で全国どこでも7700円のスペシャルバーゲンフェアの設定を発表したそうです。これに対抗して早速ANAも同等の内容で超割を設定してぶつけてきました。どちらも搭乗日は10月01日〜10月05日まで。7700円は格安ですので、これはどこか旅行でも計画するかと思ってカレンダーを見てみると、10月01日が日曜日ですね。月曜日に年休を入れて1泊2日でどこかへ行こうかと談合。以前から行きたいと考えていた、下地島にでも行こうかと思っています。下地島は沖縄県の宮古島に程近い島で、せっかく立派な滑走路があるのに定期航空路線が無く、現在日本唯一のパイロット訓練専門の滑走路として使われています。目の前でタッチアンドゴーを繰り返す航空機が見られる場所として航空ファンには有名。私自身はそれほどヘビーな航空ファンとは言えませんが、それでも興味はあります。宮古島からは船で15分ほどで行けます。
さて、早速調べてみると、大阪からだと宮古島へは便があるものの、行きは夕方にならないとありません。帰りが夕方なのはよいのですが…。羽田からだと早朝の便があるのですけれどね。ということで、今年も鉄道の日記念きっぷが発売されることを見越して、一旦東京に出てから行こうかと思っています。前日、09月30日の土曜日に近鉄の回数券でも金券屋で手に入れて名古屋に移動しておき、10月01日に大府あたりから「ムーンライトながら」に乗るということを検討しています。早朝東京に着いてその足で羽田空港と。なかなかありえない行程ですね。
ところでこの値段だとちょうど手に入れた「JAL1社化記念株主優待割引券」を売却するとほとんど賄える気がしますね…。最近JALの株価が暴落していて含み損を大いに抱えて困っていますが、少しは足しになるかな。株価暴落が公募増資の影響だというのは最近知りました。
南海、近鉄、名鉄の私鉄3社が共同発売していた、3日間これらの3社に乗り放題のきっぷ、3・3・SUNフリーきっぷがこの夏の発売を持って廃止になるとのこと。かなりショックです。私自身が使ったのは2004年の1回しかまだ無かったのですが、当然定期的に発売されるものと期待していたからです。しかもラストシーズンの今回は各社の子会社・関係会社の鉄道・バス路線も乗れるワイド3・3・SUNフリーは発売されないということで、かなり残念です。近鉄は最近開通したけいはんな線、南海は今回の欧州出張で空港線に乗車したので高師浜線だけが残存している状況ですが、名鉄についていえば名鉄名古屋以南のほとんどの路線が残っている状況。8月一杯の期間までに何とか名鉄の乗り潰しを実行してしまいたいところです。もちろん名鉄単独の全線フリーきっぷはあるのですけれど。今年の夏はいろいろ忙しそうです。
セキュリティを強化せよという上の方からのお達しで、うちの部署でもいろいろな対策を進めています。そうやってパスワードでロックを掛けて、暗号化で読み取れないようにしたとしても、パソコンや外付けハードディスクなどをそのまま盗まれてはしょうがないので、そういう持ち出せるような記憶媒体は鍵付きの場所に保管したり、それそのものを鍵で固定するようになりました。古典的な南京錠のようなものが取り付けられて、頑丈な金属のワイヤーで柱などにくくりつけられています。それ自体はなかなか破壊するのは困難だろうなという頑丈なものです。まぁそれはよいのですが…、ではその南京錠をパソコン本体や外付けハードディスクにどうやって取り付けているのかと思ってみれば、これが両面テープで貼り付けられているという…。頭隠して尻隠さずというか本末転倒というか…。というかこのパソコンロック用の錠製品に標準添付で両面テープが付属しているというのはどういうことでしょうか。ノートパソコンなどはワイヤーを通す穴が最初から開けてあるものがあるのに対して、この手のものは固定しにくいのは分かりますが、何とかならないものか。セキュリティは一番弱いところから崩壊するので、この場合も一番弱い両面テープを剥がしてあっさり盗むことができますね。こういう製品が堂々と売られていることに笑ってしまいました。
8月の盆休みに帰省するための切符を購入することをすっかり今まで忘れていて、慌てて高速バスの予約状況を調べに走りました。しかしやはりここまで出遅れると残っている訳もありません。阪急バス、近鉄バス、阪神バス(いずれも関西側の事業社名を列挙)の3社ともウェブで調べられる限りは満席でした。ウェブで販売する分と電話で販売する分が分けられていて、電話をすればまだ予約できるという可能性も無きにしも非ずでしたが、結局諦めて鉄道で帰ることにしました。また例によって九州往復割引きっぷを購入。帰りは「なは」、戻りは新幹線です。駅で発券してもらったところ、08月10日の「なは」は喫煙車に最後の1枚だけ残っていました。危ないところでした。もともと今のブルートレインは編成両数を極端に減らされているので席数が少ないということもあるのでしょう。博多や鳥栖で「リレーつばめ」に乗り換えるというリクエストをすればまだあったかもしれません(鳥栖までは長崎行きの「あかつき」を連結しているので)。
九州島内で九州新幹線のきっぷを買うと、ほぼ例外なく「リレーつばめ」と「つばめ」を一葉にしたきっぷを発券してくれるのですが、JR西日本で買うとそういうきっぷがあまり出てこない気がします。今回も熊本-新八代と新八代-鹿児島中央を分割して発券されました。一葉で発券する時は新八代の乗り継ぎであまり歩かなくてよいように号車が近くなるように配慮すると聞いていますが、分割されるとその機能が働かないようで帰りは3号車から5号車への乗り継ぎ(新幹線は車両長が長いので、これでもそこまで遠いわけではないでしょう)。九州島内のみどりの窓口においてあるマルス端末は、こういう一葉発券が簡単にできるようにメニューに登録してあるように思います。メニューに登録していない端末で一葉発券はできるのでしょうか。今日購入した駅では博多-鹿児島中央とかのメニューは用意してあるようでしたが、熊本-鹿児島中央は無くて結局分割されました。それなのに戻りのきっぷは博多までなのに分割発券されましたけど。
クレジットカードで買ったのにC制マーク*1が入っていません。時折ありますね。クレジットカードを使う時、最初からC制入りのきっぷを発券するうまい人と、一旦通常発券をしておいてC制をスタンプで押す人(別途金額を端末に入力してクレジットカード決済)、さらには一旦通常発券をした後、クレジット決済のモードにマルス端末を設定して発券済みのきっぷを読み込ませて新たに同内容のC制のきっぷの発券をする人がいます。最後のやり方は、時間が掛かるので最悪です。一旦発券したきっぷを無駄にしてもう一度発券しなおすのでJRにとっても経費が掛かる(あのきっぷの原紙は結構コストが掛かるらしい)上に時間も掛かります。最初のやり方ができれば一番よいと思うのですが、誰もがそうするわけではないのは操作が難しいのですかね? 今日のパターンはこのどれでもなく、マルスの端末に原券を読み込ませたので3番目のパターンかと思いきや、原券を読み込ませて端末に金額を入力しただけでカード決済し、原券をそのまま渡してきました。2番目のパターンの変形でスタンプ押印を忘れたということでしょうか?こういうパターンもあるとは知りませんでした。
JR東日本では窓口をどんどん廃止してKaeru君と称する自動発券機に切り替えていると聞きますが、ある程度複雑なきっぷもちゃんと買えるのであればむしろそちらの方がありがたいところです。機械でクレジットカードを使う時はサインではなく暗証番号を求められるので、時折どんな番号に設定していたか忘れてはまることがありますが…。
*1 ここの読者はご存知かと思いますが、クレジットカードで購入した切符は現金での払い戻しができないことを示す「C制」というマークが入るのが規定です
欧州出張から帰国したと思ったら、月曜日からは奄美・沖縄旅行です(うちの会社はこの時期夏休みです)。まだ全然計画を立てていなかった(ホテルと飛行機、船だけ手配済み)ので、今日はいろいろ調べ物をしていました。
奄美大島は、観光スポットになりそうなものがあまりないですね。それは元鹿児島県民なのでよく分かっていたことなのですが。1日は奄美大島のすぐ南に浮かぶ加計呂麻(かけろま)島へ行こうと思っていたのでこれは決定。後は…、ろくにないですね。3日も奄美に滞在するべきではなかったでしょうか。とりあえず現地在住の妹に聞いてみたいと思います。自然の景観のよいところを見て周りたいものです。
沖縄本島は、さすがに(択捉島を除けば)日本最大の島だけあっていろいろありますね。上陸した日はモノレールを乗り潰して、かつ那覇市内や首里城のあたりをうろうろするつもり。ゆいレールの記念館が沖縄都市モノレールの本社に併設されているようなので訪問してみるつもりです。続いて2日目はレンタカーを借りて北部へ行ってみようと思います。しかしさすがに広くて、最北端の辺戸岬あたりまで往復するとかなり時間が掛かります。時間ばかり食うようだと辺戸岬は省略することになるかもしれません。中南部のあちこちの城跡が面白そうなので寄ってみたいところですが、どこまで時間があるかは現地調整ということになりそうです。最後の日は路線バスで玉泉洞と南部の戦跡を訪問して引き上げるつもりです。那覇から玉泉洞へ直行するバスは本数が少ないようですが、一応時刻が調べられました。ひめゆりの塔から那覇へ帰還しようとすると糸満バスターミナルで乗換が必須なのでしょうか…。
ということで、レンタカーを申し込んでこれで準備完了。
九州で大雨が降り続いているようです。1日で1ヶ月分の雨が降ったなんて言っていましたが、1993年の集中豪雨の時には1週間足らずで平年の1年分の雨が降ったのでまだまだです。一応、実家に連絡を入れましたが、平野部なのでなんとも無いようです。祖父が山のそばに住んでいるのでそちらの方がちょっと心配です。鹿児島県本土のほとんどは何かあるとすぐ崩れてくるシラス台地ですからね。そんなところに住むなということかもしれませんが、鹿児島には平野が少ないので、そういうところに住まなければ住める場所がほとんどないという事情もあります。
大雨の影響で一級河川川内川にある鶴田ダムがあふれそうになって緊急放流をしているとか。あのダム結構頻繁に緊急放流をしているような気が…。はるか昔には緊急放流の影響で浸水した地域の住民との間で訴訟になっていました。今回も大雨で増水しているところにさらに放水したので下流の宮之城のあたり(合併後の地名だとさつま町)が浸水しているようです。雨が異常に多いのは分かりますが、ここまでしょっちゅう放水しているようだと本当に洪水を防ぐ効果を発揮しているのかと言いたくなります。毎年梅雨や台風の時期の前には水を貯められる様にあらかじめできるだけ放水しておくので、湖底に沈んだかつての発電所跡の建物が見られるというイベントもあり、一応考慮して放水管理しているのでしょうけれど。ところで、こういうダムで雨が降るという予測を外してしまった時の影響ってどうなんでしょうね。今年は雨が多くなりそうだと予測してあらかじめ放流しておいたけれど、逆に渇水になった場合、もはや使うべき水はほとんど残っていないという事態にもなりそうです。逆に予測を外すと貯める余地が残っていなくてすぐに放流ということになりそうです。予測を外すといずれにせよ悲惨そう。鹿児島は水は豊富なので渇水の方の心配はあまりしなくてよさそうですが。
今度の奄美・沖縄旅行への影響はあまりなさそうです。というのも、奄美・沖縄は既に梅雨明けしているからです。同じ鹿児島県といえど、奄美地方は県本土とは全然気候が違います。まぁ、多少の雨は降るかもしれませんが。
地元のニュースを見ても、もはや平成の大合併で地名が変わり果てているでさっぱりぴんと来ないという問題が…。それに一つの市町村名で表す範囲が広すぎるので、市町村名だけ聞いてもどこで災害が起きているのか分かりにくいです。せめて旧市町村名が分かるくらいの範囲の地名を発表して欲しいもの。大抵の自治体は中の地名に旧市町村名を冠しているようですし。
朝早く自室を出発して、電車で阪急伊丹駅へ。駅前から伊丹市営バスに乗って伊丹空港へ移動しました。出る時はまだ雨は降っていなかったのに、空港到着時は土砂降りとも言えるレベルの雨になっていました。手早く株優の割引チケットを購入して、ゲートへ。ゲートの横においてあるテレビで九州の大雨被害の情報を流しているのが目に付きました。使用機材はMD-90。これって乗ったことあるかなと思う飛行機です。尾翼部分にエンジンがついている特徴的な形。そのせいかかなり静かに感じられました。朝の出発ラッシュ時間帯のためか誘導路上に3機くらい並んで出発待ちの様相。滑走路を見ていると、離陸滑走する飛行機がエンジン全開で疾走するとエンジンの後ろから巻き上げられた水飛沫が凄い勢いで飛んで行ってもうもうたる有様です。やはりジェットエンジンの排気は凄い勢いなのだなと分かります。
一旦離陸してしまえば後は安定飛行で揺れることもなく奄美へ。機内は空席も多く、ゆったりとしていました。2回飲み物サービスが回ってくる位でした。途中、屋久島と思われる島の上空を飛びましたが、あんなに小さく見えるものだろうかと思うくらいでした。
奄美空港に到着。ボーディングブリッジが1つしかない小さな空港です。気温30度。暑いです。迎えに来てもらった妹の車に乗って出発。島の北の方から、あやまる岬、笠利崎と行ったくらいで早くも飽きてしまいました(苦笑)。聞いていた通り、風景は綺麗なもののそれだけでそれほど見るもののない島です。3日も滞在する設定にしたのは長すぎました。とりあえず、昼食として名物「奄美の鶏飯」を食べました。地元にいる時も食べたことはありますが、ご飯に具を載せて、鶏がらスープを掛けて食べるお茶漬けみたいな料理です。結構知られている店だったらしく、昼時はほとんどのテーブルがうまる盛況。しゃりしゃりかき込める美味しい料理でした。
午後からは奄美パークに行ってみました。奄美大島にあまりに観光すべきものがないので県が造ったという箱物施設。奄美の文化を紹介するよくあるようなコーナーと田中一村美術館の2つが目玉。ここだけが有料(2箇所で400円)で、展望台などは無料。平地に高い塔を建てて遠くを見渡せるようにしたのが展望台で、一応海を見渡すことができます。沖の方に杭のようなものが列を成していると思えば、奄美空港への着陸に使う灯火の列でした。空港もすぐそばにあるわけですね。また、展望台の足元付近になにやら滑走路のような舗装された敷地があるなと思えば、帰ってきて調べるとやはり旧奄美空港の敷地に建設されたものだそうです。小一時間もあれば見るものがなくなります。
奄美大島は、旧市町村名でいうと北の方から笠利町、龍郷町、名瀬市、宇検村、大和村、住用村、瀬戸内町の7市町村で構成されています。空港があるのは笠利町。このうち笠利町、名瀬市、住用村の3つが合併して奄美市に。どうせなら全部合併すればいいのに、まとまりのないことです。龍郷が合併に参加しなかったために笠利は奄美市の飛び地になっています。地元民の妹の言に拠れば、龍郷は金持ちであるため参加しなかったのだとか。龍郷の黒糖焼酎が売れて儲かっているというのですが、果たしてそれだけで一つの町の財政が変わるくらいの効果があるのでしょうか。その程度で変わるくらいの小さな規模の経済しかないとも言えますが。
名瀬は、割と大きな町です。合併前で人口5万人くらい。離島で本土経済と隔離されているために、この規模の町でも中心性を失っていないからでしょう。大きな郊外型ショッピングセンターがまだなく、商店街のようなところがまだ活気があるのが印象的でした。本土資本の店も、モスバーガー、ジョイフル、紳士服の青山、ケーズ電器などと発見。大手のコンビニはまだなく、九州中心のエブリワンというコンビニがあるそうです。
名瀬のホテルに投宿。明日は南部瀬戸内町の離島、加計呂麻島に行く予定。
今日は1人で奄美大島の南部に浮かぶ加計呂麻(かけろま)島へ行ってきました。名瀬のホテルを出発し、国道58号線で南下します。2桁の番号から分かるように幹線国道です。幹線国道中一番最後の番号。鹿児島市と那覇市を結んでいることになっている国道で、鹿児島市内は西郷隆盛銅像*1の前から港までのほんの短い区間。この後種子島に上陸して南北に縦断し、奄美大島に上陸して旧笠利町の中心部から名瀬を通り奄美大島東海岸側を南下して南部の瀬戸内町中心部の古仁屋(こにや)まで、さらにその後沖縄本島の北部国頭村に上陸して沖縄本島を縦断し、那覇市に至る経路です。鹿児島県内の離島部では唯一の国道でもあります。道路はよく整備されていて、そこのところはさすがに幹線国道であります。しかし、そう思ったのは旧住用村(すみようそん)の中心部くらいまでで、そこから南部瀬戸内町までの間は、センターラインこそなくならなかったものの(黄色の実線から白の破線になりました)、曲がりくねった山道で運転に疲れました。奄美大島は結構山がちな地形で、実は千葉県の最高峰より高い山があります*2。平野部が狭くかつ海岸線が入り組んでいるため、結局のところ各平野部に発達した各集落を結ぶ道路は半島の付け根を横断する山越えにならざるをえないという事情があるようです。北部の方ではそこを立派なトンネルに付け替えて改良したものの、南部はほとんど手付かずとみえます。
南部瀬戸内町の中心部古仁屋まで1時間ちょっとで到着。瀬戸内町は過疎の進んだ今でもなお人口1万を超える、離島としては割と大きな町。そのうち1500人あまりが加計呂麻島に住んでいます。しかし過去の統計を見てみると、昭和30年頃には人口2万5000あまりを数え、しかも加計呂麻島の人口も8000人を超えていたとか。かなり減少していますね。しかもその現象の率は加計呂麻の方がはるかに大きいです。思うに、自動車に代表される陸上交通機関が普及するまでは、手漕ぎの船や帆船が主要な交通手段で離島であることの不便はあまりなく、むしろ交通路に位置しているような状況だったのだと思います。山奥はそういう交通手段がないので離島より不便だったと思います。一方、陸上交通機関の時代になると山奥であっても道路さえ改良されれば便利になりますが、離島は架橋がない限り逆に不便に転落してしまうことになります。
中心市街古仁屋は鹿児島と那覇を結ぶ南西諸島の航路も寄港することがある港です。やはり、名瀬までは車で1時間以上掛かることもあって中心性が失われにくいのでしょう。ここから加計呂麻島へフェリーで渡ります。瀬戸内町営のフェリーかけろま。コンテナなどが置かれている大きな岸壁に行ってしまいましたが、これは長距離のフェリーが使うもののようで、その隣にある小さな岸壁が町営フェリーでした。港の脇の券売所で乗船券を購入。自動車航送を含めて往復で5810円でした。やはり自動車を載せると高くつきますね。なお、瀬戸内町には加計呂麻島の他に請(うけ)島、与路(よろ)島の2つの有人離島があって、こちらへはやはり古仁屋から町営船「せとなみ」が運航されています。どちらの島も人口は約200人。しかし1日1往復程度しか運航されていないので、これらの島を観光目的で訪問するのはかなり困難です(何があるのか知りませんが)。加計呂麻島に対してはかなりの本数が運航されています。
加計呂麻島は東西に細長い島で、奄美大島の南側にへばりついているのでこの間は長い大島海峡となっています。複雑な地形に囲まれてしかも水深が深いため、台風時の大型船舶の避泊地となっています。フェリーは、この島のうち瀬相(せそう)、生間(いけんま)の2つの港に対して運航されています。順に寄港するのではなく、便ごとにどちらの港へ向かうかが決まっている方式。瀬相まで25分、生間まで20分。自動車の航送甲板は、船首側にだけ出し入れできるゲートがあって、自動車はバックで積載することを求められます。車両甲板は3台分の幅があって、脇に寄せて止めるときなどはぎりぎりなのでなかなか難しいものでした。なお、船尾側は車両甲板の天井の高さが低くなっているため、その部分にはトラックなどは積載できないようでした。短い航海の後、ついに加計呂麻島に上陸。瀬相から上陸して生間から帰還する計画です。割といい道だなと思ったのは最初だけで、すぐセンターラインがなくなって山道になりました。こちらの島も事情は奄美大島の縮小版のようで、集落間は半島付け根を横断する山道になっています。縮小コピーなので距離は短いですが。また東西の細長いので南部に横断するのはすぐです。渡った瀬相自体が加計呂麻島の中でもまだ中央部くらいなのですが、瀬戸内町のウェブサイトにある観光案内によればここより東側だけが紹介されていたので、西側にはあまり見るべきものがないのかと思われ、東側だけを見ました。
まず、呑之浦の島尾敏雄文学碑、および特攻艇「震洋」の基地跡。太平洋戦争中にモーターボートに爆薬を付けて米軍の艦船に体当り攻撃を仕掛ける特攻艇として震洋なるものが生産され、ここにその基地の一つがあったとか。沖縄に実際に米軍が上陸したのですから奄美大島でも防備をするのは分かりますが、なぜ加計呂麻島でも大島海峡側に面した(つまり直接外洋に面していない)呑之浦に基地を設営したのかがよく分かりません。ここから大島海峡を通って外洋にいる米艦隊を攻撃するつもりだったのか、大島海峡の中まで米艦隊が入ってくる可能性があると思ったのか。湾に面して掘られた壕が今も残っていて、そのうちの1つに(おそらく再現されたものだと思いますが)震洋が置かれていました。島尾敏雄氏の文学碑がここにあるのは、彼がこの隊に所属していたからだそうです。
そのまま大島海峡側に沿って東へ走り、帰る生間の港にやってきました。帰る時間まではまだまだあるものの、たまたまフェリーがこちらの港に来る時間帯だったため寄って寄港の様子を見ていました。フェリーからは多くの人が乗降していました。実は加計呂麻島には公共交通も存在していて、加計呂麻バスという会社が路線バスを運行しています。わずか人口1500人程度の島で独自の公共交通機関の会社があるのはなかなか凄いと思います。基本的にフェリーに接続してバスが運行されているようで、フェリー着岸時に3台横にずらっと並んで各方面への接続待ちをしていました。マイクロバスですがちゃんと方向幕も装備しています。それなりに多くの人が乗り込んでいました。やはり、離島でフェリーの港を必ず人が経由するような場合、公共交通機関も利用しやすいのだと思われます。集落も線状に並んでいますしね。ただし、必ずフェリー連絡の運行の場合観光利用には適さないことになります。
生間を越えて渡連(どれん)へ行き、ここで昼食を調達。たまたまペンションが食堂の営業もしているようだったので寄ってみました。海岸沿いの丸太で組んだ屋外の食事スペースで食べさせてくれました。綺麗な海を眺めながらの食事はいいものですね。
デジカメの電池が急に危なくなってきたので、食事のついでにどこかで売っていないか聞いたところ、島の南側の諸鈍(しょどん)の集落に小さな店があるけれど扱っているかどうか分からない、と言われたので、当初の予定と順番が前後しますが生間へ戻り峠を越えて諸鈍へ行ってみました。しかし見るからに小さなタバコ屋で開いているかどうかも不明で結局諦めました。ここには小中学校と郵便局を発見。映画の寅さんのロケ地となったという場所を見てから移動。島の東側を回って大島海峡側に戻れると思ったのですが工事中で通行止めだったためまた生間を経由して行きました。
渡連よりちょっと東側の峠部で、戦争中の対空砲座跡があるというので車を止めて歩いて見に行ってみました。大島海峡を見渡す景色の綺麗な場所に、ここに砲座があったという案内が立っていました。残っているものはほとんどありません。こんなところに米軍機が来るのだろうかと思ったのですが、実際には空襲もあって戦闘が繰り広げられたのだそうで、米軍機18機撃墜、日本側5名戦死と書かれていました。
さらに東に行き、島の保母東端にある安脚場(あんきゃば)へ。ここにも戦跡があり、やはり大島海峡を見下ろす場所に陣地がありました。ここはいろいろ残っていて、コンクリート造りの弾薬庫などを見ることができました。大島海峡の東側の出口を見下ろせる場所で、敵の潜水艦の海峡への侵入を防ぐために機雷原や防潜網が海峡に設置されていて、それをここから操作していたそうです。そこはさすがに軍が陣地を置くだけの場所だけあって、ここからの景色は先ほどの対空陣地にも増して綺麗でした。東側はもう太平洋で見渡す限り海以外何もなく、そちらから轟々と奄美大島や加計呂麻島に波が打ち寄せていて、さらに大島海峡内へと流れ込んでいる様子が見えました。
結局戦跡地ばかり見てきた気がしますが、これで行程を終えて港へ戻り、帰りの便に乗船。見ると、よく見かけるクロネコヤマトのトラック(トヨタ・デリバリー)も乗船していて、このような離島にも集配が行われているとはさすがヤマト運輸です。なお、地図を見る限りでは島内には郵便局は3箇所で、また小中学校は8箇所もあります*3。人口1500人の島にしては学校が多すぎる気がしますが、それだけ通学が不便ということでしょうか。他に警察の駐在所が生間の港近くにあるのを確認。ガソリンスタンドは存在しましたが、商店らしきものが諸鈍のやっているのかどうか分からない程度のものしか確認できず、結局島の人は古仁屋まで買いに出かけるのでしょうか。謎です。自動販売機はところどころにありましたけど。それからすると古仁屋はファミレス「ジョイフル」もある大都会です(笑)。なお、古仁屋には港のすぐそばにAコープがあり、さらにコンビニ「エブリワン」が明日26日から開業(!)と書かれていました。1日違いとは惜しいものです。
大島海峡の幅は割と狭そうだったので、架橋の議論があるのではないかと思って帰ってから調べてみると、やはりそういう主張があるようです。見た感じ結構深そうだったので実現したとしてもかなり長い吊橋になりそうという観測。日本財団が割と詳細なレポートをまとめているのを発見しました。建設費500億円前後とは結構高価ですな。
帰りは奄美大島の西海岸を通ってみることに。県道79号線が名瀬と古仁屋を西海岸経由で結んでいます。こちら側には北側に大和村(やまとそん)、南側に宇検村(うけんそん)があります。道は、宇検村の名柄(ながら)集落に出るくらいまでは部分ごとに改良されて2車線になっているところがある程度で後はセンターラインのない曲がりくねった山道でした。名柄以北は改良されている率がかなり増すものの、部分的に未改良区間が残存といった様子。集落は大体湾奥の平地に所在してその間は山道なので、改良はその山道部分をトンネルでショートカットするという方式で行われているように見受けられました。未改良区間でも既にほとんどできあがったトンネルが見えている場所もあり、改良は着々と進んでいる印象でした。それでも東海岸周りに比べるとはるかに時間を要して、2時間30分掛かって名瀬まで帰り着きました。
既に行くべき場所はほとんど行き尽くした感がある奄美大島。10時くらいまでホテルでウダウダしていて、やっと出発。大和村のフォレストポリスというところへ行くことにしました。奄美大島の内陸部に建設されたキャンプ場や遊具などがある公園です。こんな山奥に何があるのだろうかというような場所。あちこちから登っていく道があるのですが、どこも対向車が来たら行き違うのに苦労するであろう程度の道幅。しかし結局一度も対向車は来ませんでした。突然視界が開けて、大きな駐車場やゴーカート場、キャンプ場、遊具などが現れました。まぁよくこういうものを造ったものです。明らかに過剰な施設ですけど。そういえば、修士1年の時の研究室旅行で行った広島県神石町の施設や、修士2年の時の研究室旅行で行った和歌山県那智勝浦町の施設もこんな感じで細い道路をたどって山奥に行ったところに開発されていました。しかし離島という時点でそもそも入り込み客があまり期待できないのに、さらにその山奥となるともうどうしようもないですね。こんな場所でも電気が通じていて自動販売機が設置されているのがさすが日本です。この施設からちょっと離れたところにあるマテリヤの滝というところを見て帰還。案内板によると、このあたりにかつては集落があって島の東西を横断して移動する人に宿を提供していたとか。車が便利になった現在でも人が住むことが考えづらいような場所なのに、そんなところに昔集落があって、しかもそういう場所を経由して東西を横断する人がいたのかと思ってしまいます。特に毒蛇ハブの脅威がある奄美大島ではうかつに山奥に入れないはずですし。
もう本当に行き尽くしてしまって、結局奄美パークの無料ゾーンのところでしばらく涼んでいました。さらにファミレス「ジョイフル」でドリンクバーで粘るという感じ。後で母に聞くと、両親が奄美を訪れた時も同じような状況だったそうで、本当に見るところがない島です。想像以上。逆に、名瀬の都市機能は思っていたより整っていました。既に名瀬にある店をいくつか挙げましたが、その他にもダイエー、TSUTAYA、ケンタッキーフライドチキンなども発見。これくらいあれば、「健康で文化的な最低限度の生活™」はできそうです(←ひどい言い方)。
夕方に、そういえばここがあったと旧笠利町の蒲生崎展望台に行ってみました。奄美に来て以来あちこちの展望台に行きましたが、加計呂麻島の安脚場戦跡地の展望台と並んでここがもっとも綺麗だと感じました。奄美大島の北西部に大きく切れ込んだ笠利湾の湾口部東側の岬です。笠利湾の中にさらに大きな半島が2つあって、その入り組んだ地形の様子が展望台からよく見えます。さらにその奥の旧笠利町赤尾木地区のあたりでは、陸地の幅が極めて狭くなっていてしかも中央部があまり高くなっていないので、その先の太平洋までを見通すことができます。これは素晴らしいと思いました。さらに、反対の東シナ海によく目を凝らしてみると、トカラ列島最南部の上ノ根島、横当島(いずれも鹿児島県十島村)がはるか向こうにかすかに見えました。これらの島は無人島ですが、これより北に連なるトカラ列島の合計7つの島に人が住んでいます。さらにその北に3つの有人島からなる三島村が存在していて、この2つの村は空港も存在せず鹿児島市から村営船で長い時間を掛けていかねばならないため、奄美群島の他の島に比べてもはるかに行きづらいところです。こういうところも一度は訪問してみたいと思っているのですが…、一旦どこかの島で船を降りてしまうと、次の船が来るまでかなりの長い滞在になってしまうのが問題です。
画像は蒲生崎展望台から笠利湾方向を望んだもの。中央左側の細い陸地の向こう側に太平洋が見えているのが分かるでしょうか。
21時30分に名瀬新港を出港するマルエーフェリー「琉球エキスプレス」で離脱。もうすることがなかったので19時過ぎに旅客ターミナルに到着しました。ところが船が大幅に遅れていて、23時30分以降の入港とのこと。実際には24時を回りました。えらく暇でした。その間、マリックスラインのクィーンコーラル8が鹿児島へ向けて出港していきました。鹿児島と離島を結ぶ便は、鹿児島発の下り、名瀬発の上り共に夜行になるようにダイヤが組まれていて、奄美大島以南の離島は日中の寄港となります。このため、南部の離島だと時間が掛かりすぎますが、奄美大島からだと上下共に夜行で時間を有効利用でき、しかも運賃が飛行機より安いためか、結構船の利用者も多いようです。ほぼ毎日鹿児島と名瀬を結ぶ船は運航されています。喜界島経由の便が設定されていて1日2便(どちらも夜行)の日も結構あります。この鹿児島人の感覚で、今度の沖縄旅行に際して何とか宮古島、石垣島を船で訪問できないものかと調べたのですが、宮古、石垣へはもうほとんど飛行機に転移してしまったのか週に何本というレベルで、使い物になりませんでした。これはかなり意外。それに比べると鹿児島の離島への交通の船の占める地位はまだかなり高いです。24時過ぎにやっと入港してきて乗船。
名瀬からマルエーフェリーの「琉球エキスプレス」で那覇へ移動。この船は合理化が進んでいて、レストランがなく、供食は自動販売機のみ。レンジで暖めたおにぎりや唐揚げ、ポテトなどが出てくる機械とか、カップラーメンの自販機、レンジで温めて食べられるカレーやリゾットなどの自販機といったものが並んでいました。別にこの程度でも一向に構いませんけどね。お風呂がないのは痛いですけど。シャワーが設置されているのですが、名瀬出港時点では既に閉鎖されていました。今回の航海では多少ピッチングを感じました。これまでのフェリー利用では感じたことのないレベルの揺れ。酔うことはありませんが、やはり奇妙な感じがするものです。
8時30分入港予定でしたが、昨日の遅れを引きずって結局9時50分頃入港。それでも名瀬出港時点では3時間近く遅れていたのを1時間20分遅れに短縮したのですから大したものです。しかしそれだけ頑張っても、埠頭から市街地へ連絡する那覇バスは9時10分に出てしまっており、結局市街地への移動にタクシーを使わざるを得なくなってしまったのでした。このあたり、旅客ターミナルでかなりしつこいタクシーの客引きがいて閉口しました。地図を見ると、今回入港した那覇新港ではなく在来の那覇港であれば、バスターミナルやモノレールの駅まで歩いていくのもわけない距離なのですが。やはり車でしか移動しない人間が都市計画をするとこうなってしまうのですが、いまや船を使うのは貨物が中心で、旅客も車両航送の人が中心であることを考えると仕方ないのかもしれません。
モノレール旭橋駅近くの那覇バスターミナルでコインロッカーに荷物を預けて出発。那覇バスターミナルは戦前に沖縄に存在した沖縄県営鉄道の那覇駅の跡地だそうですが、それをうかがわせるものは何一つありませんでした。どこかに鉄道駅跡の記念碑でもあればと思ったのですが。ずっと鉄道がなくてバスが基幹公共交通だった沖縄を反映して、バスターミナルはかなり凄い規模です。常に待機場にたくさんのバスが並んでいてひっきりなしに行き交っていました。
滞在する3日間ずっと使える、3日券を駅で購入。旭橋駅からまず那覇空港駅まで乗ってみました。跨座式モノレールなので同等のものにあちこちで乗れるわけで、乗り心地なども似ていました。車内は基本的に全てロングシートですが、運転席後ろに被り付き専用席が用意されているのがユニークなところです。これは日立が造ったな、と思わせるドア横の掴み棒に気づきましたが、川崎の銘板が付いているものもあるのはどういうことでしょう。また運転士の動作を見ていると、駅到着時にドアを開けるのは運転台でできるのに、閉める時は横の乗務員扉のところから顔を出して確認しながら、車掌が扱うようなドアスイッチを扱っていました。普通鉄道でもワンマン運転のところでは全部運転席に座ったままドア開閉するのが標準だと思いますが、こういうことをするんですね。運転台にATC運転のランプが付いていて、実際に速度計の横に許容される速度を示すランプが点灯していましたが、ATCという触れ込みにも関わらずブレーキは全てマニュアル。実質速照付きATSですな。やはりATCとATSの違いは作った人がどう呼ぶかだけの気もします。
那覇空港駅からちょっと歩いて沖縄都市モノレールの本社へ。ここにゆいレール展示館があります。本社の建物の中へ入って総務課の人に声を掛けると、私が今日最初の訪問者だったようで展示館の照明を入れてくれました。こういうところに来る人はほとんどいないのかなと思いきや、その後どんどん人がやってきて結構賑わっていました。ゆいレールの建設経過を紹介したビデオを見入ってしまい、見学に結構時間を費やしました。展示はモノレールだけではなく、戦前の沖縄の鉄道についてもまとめられていて面白いです。さらに鉄道一般の展示も行われていました。
那覇空港駅から一気に首里駅まで乗車して全線を完乗。首里駅でも降りてきたところでタクシーの客引きが五月蝿くて非常に迷惑です。ここから首里城までは歩いても15分くらいなのにタクシーに乗るわけがありません。100円のバスがすぐにやってきたので結局バスで行きましたが。割と親切な運転手さんで、降りた後どちらへ歩くべきか、帰りはどこのバス停から乗るべきかを放送で案内していました。首里城は沖縄の最大の観光の目玉ではないかと思いますが、ほとんど太平洋戦争で破壊されてしまって復元であるのは残念なところです。しかし随分気合を入れて復元したようで、非常に美しいと思いました。入り口に2000円札の図柄にもなっている守礼門がありますが、これは割とシンプルな門。そこから岡に登っていく形で次々に門をくぐって、最終的に国王が住んでいた建物のところへ出てきます。この建物の中まで靴を脱いで上がってみることができますが、柱や梁に細かく彫刻が施されて彩色され、実に綺麗です。後で復元作業のビデオを見ましたが、随分手間が掛かっているようです。逆に過去の実際のものが今も残っていたのであれば、保護のために却って中まで入れなかったかもしれませんし、長い年月で鮮烈な色彩も色褪せていたかもしれません。それを思えば、こうした鮮明な色彩を間近で見ることができるのは復元だからであるということもあるのかなと思ってしまいます。
それにしても、沖縄の物価は安いですね。バスターミナルの近くで夕食のために入った食堂で、550円でかなり量のある定食が出てきました。観光地価格に騙されてはいけませんね。
今日はレンタカーを借りて沖縄北部へ出かけました。モノレールの美栄橋駅の近くにあるレンタカーの営業所で一番安い軽自動車を借りて出発。那覇はバスレーンの設定が多く、あらかじめ地図を見てここを通ろうと思っていたところが朝の時間帯は全面バスレーンで通行不可などという罠もあって、かなり回り道して那覇I.C.へ行くことになりました。那覇I.C.から沖縄自動車道に入って快適な高速走行へ。伊芸のサービスエリアに寄ると、金武湾の向こうに離島に繋がる橋などが見えて非常に綺麗でした。ここの売店で美ら海水族館の前売り券が売られていて1割引の1620円だったので購入。Edyが使える店でしたが、前売り券はEdy駄目だとのことで現金決済。終点の許田I.C.で高速を出ると、800円でした。かなり走ったのに随分安いですね。米軍基地問題の対策のためなのかどうか、沖縄は優遇されているとのこと。
本部半島の先端にある国立沖縄記念公園にある美ら海水族館へ。夏休みのためか平日でもかなり混んでいました。建物の構成が面白くて、斜面のところに立っていて上の方から入り中で次第に降りて一番下に出てくる構造。だんだん海に潜っていくということを想定していて、実際に館内の展示の配置もそうなっているそうです。ここで有名なのは世界一という大水槽ですが、それ以外の水槽も十分大きくて非常に綺麗でした。水の中の魚の密度は自然界でもあんなに高いのでしょうか? 展示のために密度を高めに設定しているのではないかと思ってしまいます。大水槽では圧倒的なサイズのジンベエザメが泳いでいて感動的です。ちょうど係の人がアナウンスで紹介をしている時間で、見るべきポイントを教えてくれるので面白かったです。これだけの大きさの水槽を水漏れさせずかつ展示側を綺麗な透明に造る技術は凄いですね。
昼過ぎに美ら海水族館を出て近くの今帰仁(なきじん)城跡へ。私は城跡を見るのが結構好きなので、今回の行程にはあちこちの城跡をチョイスしてあります。ここは沖縄が3つの地域に分割されていた頃に北部を統治していた北山の本拠地だったそうで、後に琉球王国を樹立する中山に攻め滅ぼされたそうです。今でも綺麗な石垣が残っています。日本のあちこちにある城跡と比べると石の積み方が独特な気がします。日本の城は直線的に石を積んでいると思うのですが、こちらでは石垣が微妙な弧を描いていてその感じが独特の印象を与えています。
さらに、最近できたという古宇利(こうり)大橋を見に行きました。本部半島の北側の付け根付近は海の一角が屋我地(やがじ)島に遮られて中が羽地内海(はねじないかい)になっています。ここも風景が素晴らしいところ。屋我地島には東側から橋が架かっていて繋がっています。さらにこの島の北側にある古宇利島との間にも最近橋が架かって繋がりました。これが現在日本で通行料が無料の橋としては最長の1960メートルあるという古宇利大橋。真っ青な海の中に一直線に橋が伸びている様子は本当に綺麗なものです。中央部がちょっとアーチ状になっていますが、基本は連続桁橋のようで、それだけ海が浅かったのでしょう。フロリダキーズのセブンマイルズブリッジのようです(それほど長くないですけど)。実は屋我地島は名護市で、古宇利島は今帰仁村であり、同じ今帰仁村へ行くためには島から羽地内海をぐるっと周って行く必要があるのですが、現在屋我地島と今帰仁村側を直結する橋も工事中だそうです。うーむ、できあがったらまた訪問してみたいところです。
ここから国道58号線を南下し、恩納村の万座毛(まんざもう)を訪問。海沿いの侵食された崖があるところです。さらに南下して残波岬へ。こちらは灯台の上まで登れるようになっていたので(150円)、こちらも似たような感じの侵食された崖になっているのですが、こちらの方が眺めはよいと感じました。また、この近くにある座喜味(ざきみ)城跡を訪問するとそこからも残波岬が望めてよい眺め。こちらは石垣のアーチで形成された城門が特徴的でした。
さらに勝連城跡と中城(なかぐすく)城跡も訪問地としてリストアップしてあったのですが、既に時間的に限界でした。勝連城の方まで行って、沖縄東側の海上に伸びる海中道路を見ました。こちらも沖縄本島の半島になっている場所から沖にある島へ向かって海上を伸びる橋です。しかし完全に渡り切って帰ってくることはできず、大急ぎで引き返しました。20時までにレンタカーを返す手はずでしたがかなり厳しくなり、帰りは国道330号線をかなり急いだものの結局15分遅れてしまいました。延滞料金などは取られなかったのでよかったのですが。ということで、まだまだ沖縄北部には見るべきものがあちこち残っています。奄美を1日削ってこちらに充てればよかったですね。
今日は路線バスを利用して沖縄の南部を回りました。那覇のバスターミナルから琉球バス54系統で40分ほど、玉泉洞に到着。54系統は循環路線のようで、一旦運賃表示器が500円まで上がった後また490円に戻って到着しました。ここには大きな鍾乳洞があって観光用に開放されています。一緒にいろいろな観光施設が建っていて、玉泉洞だけに入るチケットは無く、そうした観光施設の観覧券までセットになって1200円。ちょっと高いですね。あまり周りに興味は無かったのですが、仕方ありません。洞内に入ると、あらゆるところに鍾乳石が林立しています。何でも、暖かい沖縄では鍾乳石の成長が速いそうで、秋芳洞(山口県)などに比べるとざっと約5倍の速さで成長するとか。だからこれだけ林立しているのですね。しかし観光客を通す高さを確保するために鍾乳石を削ったような形跡が…。鉄の板を敷き詰めて架空通路を建設するのは、鍾乳洞の観光化のためには仕方ないことだと思うのですが、一部では床にコンクリートを流して固めていて、これはあまりに鍾乳洞の自然を破壊しすぎではないかと思ってしまいました。もちろん人間などが鍾乳洞に入らないことが一番なのでしょうけれど。鍾乳洞から外に出て来ると、元の位置に戻るまでの地上のコースが観光地化されています。沖縄の古い民家が立ち並んでいてそこで様々な体験イベントを実施していて、別に私自身はそういう体験イベントには参加しませんが見ていて面白く、民家の様子も赤い瓦の屋根にシーサーが載っている様子など非常に綺麗だったので、これ自体も一見の価値があると思いました。他に地ビールの工場だとかガラス工芸品の工場だとかが敷地内にあってそこを通って帰るようになっていて、観光客が次々に土産を買っていたのでなかなか商売がうまいと思いました。中の案内板に日本語、英語、中国語での説明が書かれているのですが、中文は簡体字でなく繁体字。台湾や香港からのお客さんの方が多いのですかね。土産は向こうでも土産なのか…。
玉泉洞で2時間弱の滞在の後10時50分の琉球バス82系統(糸満・玉泉洞線)に乗って平和祈念堂へ移動。15分360円。沖縄戦で日本軍が最後に陣地を置いていた摩文仁の丘にあるいわゆる戦跡公園。平和祈念塔では中で何やら修学旅行の団体みたいな人たち(夏休みの時期なのに?)がえらく宗教がかった儀式をしていて変な様子。一方資料館の方は一通り見て周るのにかなり時間が掛かる内容の濃いものでした。沖縄戦だけに留まらず、明治以降の日本の戦争の歴史について紹介。沖縄戦の経過を見ると、民間人の多数いる場所で適切な避難が行われずに激しい地上戦が行われたことが大きな犠牲の原因ですね。軍や県庁の責任者が適切な場所に民間人を避難させて、米軍に軍使を送るなどして交渉して民間人を戦闘に巻き込まないようにすれば、砲爆撃の巻き添えによる死傷者は出してもこれほどの被害にはならなかったでしょう。当時はそういう発想が全く無かったのでしょうけれど。また戦後の復興と米軍基地の問題などについても取り上げられていました。まだ南部で戦闘が続けられている時期に、米軍の占領下に置かれた北部では既に学校教育が再開していたという話に、今のイラク侵攻とは違って随分この当時の米軍は民生関係の手回しよく準備してきたものだと思われます。軍政下で使われていた品の展示が興味深いです。実家においてある切手のコレクションブックの中に琉球民政府の発行した未使用切手が保存してあります。資料館の前には平和の礎という、敵味方の全ての沖縄戦関連死者の名前が刻まれた石碑がずらっと並んでいます。鹿児島出身者として地元鹿児島県の辺りを見に行ったのですが、私の祖父の名前と全く同姓同名の人を見つけて驚きました。祖父は今でも元気に暮らしていますが、年齢を考えるとほぼ同世代の人ではないでしょうか。私の親族の中では、戦争で亡くなった人は誰一人聞いたことが無い、とても幸運なことであります。丘の上にある鹿児島県の慰霊碑にも参拝してきました。
結局昼食も取れず3時間あまり平和祈念公園に滞在し、14時10分のバス(これも琉球バス82系統)でひめゆりの塔へ移動。8分250円。平和祈念公園と違って周りが観光地化されているのに違和感を覚えます。資料館の展示自体はよいのですが。ひめゆり部隊の全員の写真と生前の様子、死んだ時の状況などが書かれているところが一番衝撃的でした。またひめゆり部隊が一番有名なためこれだけ立派な資料館などもあるのでしょうが、他にも学校単位で動員された部隊があって、それぞれに慰霊碑が立っているようです。
飛行機に接続する時間を考えると滞在時間があまり取れず、15時13分のバスで出発。バス停で待っているとタクシーの運転手が声を掛けてきて実に五月蝿い限りです。やはり琉球バス82系統に乗って糸満バスターミナルへ。15分270円。糸満ロータリーなどでも那覇行きに接続するのですが、終点のバスターミナルまで行ってみました。沖縄バスと琉球バスが共同で使っているターミナルのようでした。ここで降りて、89系統の那覇行きはバンバン走っているのでそれにすぐ乗換。15時35分の沖縄バス航空隊経由那覇バスターミナル行き。40分500円。最後に那覇市内で循環しているのか、終点の那覇バスターミナルまで行けばよいと思っていたところがそのだいぶ手前で旭橋というバス停を経由し、それがバスターミナルの外側のバスベイでした。空港へ行くだけなら、その手前からモノレールの下を走っているのでそこで降りればモノレールへ乗換もできるでしょう。なぜここまで空港が近いのに空港を経由しないのかは謎ですが。私はバスターミナルのコインロッカーに荷物を預けていったのでそれを回収し、旭橋駅からモノレールで那覇空港へ移動して17時40分のJAL2088便に搭乗。大阪に帰ってきました。
やはり沖縄は本島だけでも3日では時間が不足気味です。奄美大島にはもう行く必要は無いと思ったのですが、沖縄本島は再訪したいところです。
人のサイトからネタをパクって今日の記事を書いてみるテスト。碓氷峠交流記念財団が横川と軽井沢の間の廃止になった旧信越本線碓氷峠の鉄道を来年春に復活させる計画とのこと。ryot氏のサイトで知りました。確かに、ここはいずれ鉄道を復活させると以前から考えていて、そのために信越本線の線路も外さずにそのままにしてありました(単線だけですが)。それを本当に実現してしまうとは、凄いですね。ヨーロッパではローカル線になると線路を休止してバス輸送にしてしまい、それでも時刻表の上では鉄道と変わりなく取り扱われているということがあります。チェコ出張前にドイツ鉄道のウェブサイトで時刻を調べていて*1、何気なく入れたチェコの地名(路線図から読み取ったもの)への移動ルートはバスマークが付いていました。これは、何らかの事情があれば鉄道として復活させることも視野に入れているために線路は外していないのだそうで、S先生が「日本は廃止となるとすぐに線路を外してしまって将来復活するということが絶望的になってしまう」と批判していました。日本の場合は、線路をすぐに外してしまうのは固定資産税対策ではないかと思いますが、確かにそういうところはありますね。まだ運行されている路線ですら税金とメンテナンスコストの最小化を狙ってバンバン行き違い設備や中線を撤廃してしまう状況ですから。日本でも、北海道の士幌線は末端区間で廃止前のしばらくの時期は線路を残したままバス代行をしていましたが、あそこは結局鉄道運行が復活することも無くそのまま完全廃止になってしまいました。将来の復活の望みを託して線路を残しておいたものが本当に復活するというのは、初めての事例かもしれません。
以前、観光目的だとか保存目的とかで事実上の鉄道運行をしていながら正規の鉄道営業許可を受けずに特認(黙認?)を受けて営業しているのはおかしいのではないかと書いた覚えがありますが、特定目的鉄道事業という分類が法的に存在していたのですね。知りませんでした。そうした観光・保存目的の鉄道がきちんと法律の枠組みに位置づけられたのは喜ばしいことだと思います。高千穂鉄道を引き継いで営業再開することを目指している神話高千穂トロッコ鉄道でもこの枠組みが使えるかもしれませんね。
EF63での運行も検討とありますが、それができるなら鉄道ファンとしては嬉しいものの、どうなんでしょうね。あれは国鉄の新性能電気機関車としては最大の重量があるはずで、軸重も他より大きく、大宮工場への入区の関係からEF63が走る可能性がある区間である、高崎線の大宮-高崎、信越本線の高崎-軽井沢は線路が特別に強化されていたと聞きます。そういう大型機が走れば軌道のメンテナンスコストは格段に上がると思います。今峠の湯までのトロッコを走らせているように、軌道モーターカーで運行する方が現実的な気がします。碓氷峠鉄道文化むらの中で実際に動いているEF63が存在するという実績があるので軽井沢まで走ることもやろうと思えばできそうではありますが。
乗り潰しファンがこの区間をどう扱うか、ということですが、私も信越本線だった1997年08月(廃止の1ヶ月前)にこの区間を通過しています。しかし、神話高千穂トロッコ鉄道のように正式に廃止手続きが取られていないもの(まだ廃止されてないですよね?)を再開するというのであればともかく、一旦は完全に廃止手続きが取られたものなので、復活する時にはまた新しい鉄道として取り扱うべきだと思っています。すなわち、本当に復活すれば再乗車に行くつもりです。観光施設の遊具扱いだと乗車対象ではないですけどね。特定目的鉄道事業だと、鉄道要覧にも掲載されるのでしょうか。いずれにせよ今後の展開が楽しみであります。
*1 DBのサイトはヨーロッパ全域の時刻表検索ができる
鹿児島県姶良郡加治木町日木山(ひきやま)で、国道10号線が一時的に通行止めになったそうです。これ、先日の大雨で斜面が崩壊しそうになって通行止めになると共にふもとの住民に避難勧告が出ていた場所ですね。このあたりです。加治木町と霧島市の間の小さな峠を越えるために登っていく場所です。昔からよく行き来している場所でした。ここが通行止めになるとひどく困るかというとそうでもなく、通行止めになると大体は並行する高速道路が無料開放されるので却ってそちらの方が便利なこともあります。この区間の場合、隼人道路の加治木-隼人西間が無料開放されると思うので、姶良町の側から国道10号バイパスを走ってくるとちょうど隼人道路の加治木I.C.に繋がることもあり、国分方面へ抜けるのであればこちらの方がはるかに便利です。一般国道が閉鎖されている方が便利になるというのも何だか変な現象ですけどね。もちろん、高速道路が無料開放されていない時は、わざわざこの区間だけお金を払ってまで高速道路を使おうと思うような距離ではありません。高速道路の方が速いことは確かですけれど。
国道10号はここより西側の姶良町と鹿児島市の間でも海岸沿いの崖下を走る脆弱な区間があり、ここが不通になると並行する九州自動車道(これは台地の上を通っている)が無料開放されます。こちらは、鹿児島市内での行きたい場所にもよるのですが、多少不便を感じます。私の実家の配置(姶良町)では、国分へ行くにも鹿児島へ行くにも高速道路は利用しない(却って不便になるかお金を払うだけの利便性の向上が無い)わけですね。
これに対して、先日訪問した沖縄では高速道路の利便性が非常に高いと感じました。海中道路を見た帰りに大した距離ではないと国道330号線を南下するルートを選んだものの、夕方で非常に混んでいて時間が掛かりました。途中で何度高速道路へ行こうかと思ったことか。国道330号線も片側2車線や3車線が確保されている区間がずっと続いているのですが、一番左側の車線を走行していると路駐している車や客待ちのタクシーに引っ掛かります。あちこちで一番左側の車線に2、3台のタクシーが並んで客待ちをしているところを見かけたのですが、こういうのは沖縄では普通なのでしょうか。一方、一番右側の車線を走行すると快適なものの、時折右折専用レーンにはまる事があるので要注意です。片側2車線の場所で、どちらのレーンも直進できるのに信号待ちで左側の車線にばかり車が溜まるな、と思っていると右折専用レーンが無いために右折車が直進車を遮るという交差点でした。やはり地元の車の走行パターンをよく観察する必要があると感じて、それ以降は注意を払って2回ほどそういう交差点で右側車線を回避することに成功しました。免許を取ったばかりの頃はとにかく安全に車を走らせるのに精一杯で右折専用レーンに突っ込んでしまうことがよくあり、より注意を払えるようになるとそういうところを回避できるようになりましたが、今度はさらに周囲の車の流れを見て車線を変更して最適走行パターンを取る事ができるようになって、さらにレベルアップしたようです。あまり車を運転しないので上達が遅いですが。そういうことに気を使わなくてよい分高速道路は気楽ですね。
ところで、沖縄の道路を走っていて感じたことですが、交差点での矢印信号の付き方が特殊な気がします。普通は青信号時間が終わった後に溜まっている右折車を流すためにしばらく右折矢印を点灯するというのがパターンだと思うのですが、沖縄ではそういう方式の他に、赤信号の途中で突然左矢印が点灯するというパターンもあります。複数箇所で確認したので沖縄では普通にあるのでしょうか。もっとも邪悪な場所では、一番左側の車線が直進か左折のレーンなのに赤信号待機中に左矢印が点灯します。その時その車線の一番前で止まっていた私は直進しようと思っているので左矢印が点灯しても何もできないわけで、その結果後ろにいる左折車が妨害されます。全く予期できない点灯パターンでどうしようかと思ってしまいました。信号機に矢印を点灯する機能があるかどうかにまで注意を払って交差点に進入しなければならないのでしょうか。全く面倒なことです。
_ hawk [PC は一台にしておかないと、いろいろきついですよ。 特に空港での検査の時。 ホットスポットも結局現地のISPと契..]
_ Tamon [情報どうもです > hawk氏。 やはり1台でないときついですよね。 で、会社のノートPC1台だけ持っていくと、結局..]