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旅行日記 鉄道模型の部屋 書評

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2005-10-05 クリーニング/スチームの出るプラレール

tDiary 123日目

_ クリーニング

先週木曜日の朝預けたスーツのクリーニング、1週間が目処と言われたのでそろそろ仕上がっている頃だろうと、今日早めに退社して引き取りにいきました。すると、まだ仕上がっていないとのこと。もう1週間待ってくれと言われて、別に急ぎではないので構わないのですが、2週間かかるクリーニングって何でしょうね。今衣替えのシーズンで多くなっていて遅れているのだと言っていましたが、それなら最初から言ってくれれば無駄足を踏まずに済むのですけど。仕方ないですな。

_ スチームの出るプラレール

鉄道模型で特殊なオイルを燃焼させて煙を出すようにした蒸気機関車の模型があることは知っていましたが、トミーからプラレールの蒸気機関車で煙が出るものがリリースされたということでびっくりしました。スポイトで水を入れて、それを沸騰させて水蒸気を出してそれっぽく見せるという仕組みなのですが、なかなかよく考えたものです。プラレールは外部から動力を取らずに基本的に搭載されている電池だけで動くはずなので、この水蒸気を起こすエネルギーも電池から出ているのでしょう。わずかな量とはいえ、水の比熱は大きく、沸騰させるのにはかなりのエネルギーを必要とするのではないでしょうか。よくこんなことを電池でやろうと思いついたものです。あっというまに電池が消耗して走れなくなるのではないかと懸念しますが。


2006-10-05 ボーイング737墜落

tDiary 488日目

_ [交通]ボーイング737墜落

ブラジルでボーイング737型機が墜落する事故があったとか。格安航空会社として知られるゴル航空という会社の飛行機だったそうなので、またボロい中古飛行機でも買ってきて飛ばして事故ったのかと思いきや、最新型のB737-800(B737-NG(Next Generation)シリーズの1種)じゃないですか。Wikipediaでも早速事故概略のところに「(うち737NG1回、155人死亡)」と記述が追加されていますね。速いです。しかし機体の問題とかではなく小型飛行機との空中衝突が原因だとかで、機体が新しかろうが古かろうが関係ないですね。雫石事故とかを思い出してしまいます。雫石事故では全日空機、自衛隊機共に墜落しましたが、自衛隊機のパイロットはパラシュートで生還しています。今回は衝突した小型機はそのまま地上に帰ってきたとかで、大型機の方が墜落して小型機が生還するというのも不思議な感がします。第2次世界大戦中に、ユーゴスラヴィア上空でドイツ空軍のメッサーシュミット戦闘機(型は覚えていないですがおそらくBf109型)と空中衝突したアメリカ陸軍のP38ライトニング戦闘機が、相手は墜落したのにそのままアドリア海を横断してイタリアにある基地に帰還したという話を聞いたことがありますが、これとて明らかにBf109なんかよりはP38の方がはるかに大きいですしね。近いところでは、アメリカ海軍の電子偵察機EP3が中国空軍のF-8戦闘機(殲撃8型Finback)と空中衝突してF-8は墜落、EP3は海南島に緊急着陸なんていうことがありました。あれとて、墜ちた方は小型な方です。EP3はプロペラ機なのに対してF-8はジェット機ですけど。

今回の旅行で、行きに使ったのはB737-500(いわゆる737クラシック)だったのに対し、帰りは最新型のB737-700でした。ウィングレット(翼端の空気の流れを整えて燃費を改善する装置)を装備しているので外観で全然違うということが分かりました(もちろん帰りの機体はゴールデン塗装の特別機なので塗装が全然違っているのですけど)。また、機内の音楽サービスに使うヘッドホンは、これまでひじ掛けにスピーカーが内蔵されていてそれをゴム管で耳に伝達するタイプのものが使われていたと思いますが、B737-700では通常の電気信号で伝達して耳元で音に変換するヘッドホンが搭載されていました。新しいからという理由なのかもしれませんが、B737-700の方が座席もいい感じがしました。多分他にもいろいろ違いがあって鋭い航空ファンなら分かるのでしょうけど、私が気付いた違いはそんな感じ。まだ飛ぶのかよという感もある古い印象の機体なのですが、主翼の形まで変えられて換骨奪胎された最新型がまだ生産続行だそうで、息の長いベストセラー機ですね。アメリカ海軍の次期対潜哨戒機プロジェクトP8の母機にもなっているそうです。今回の事故でNGの全損が付いてしまいましたが、これまでの全損機数の多さ(単に販売機数が多いからですけど)を挽回するように飛び続けて欲しいものです。


2007-10-05 秋旅行1日目

tDiary 853日目

_ [旅行]秋旅行1日目

連休の旅行から戻ってきました。徐々に日記の記述も進めていきます。旅行の行き先が実にバラバラで、うまく鉄道を乗り回せるようにあちこちに行程を継ぎ接ぎして行った結果非常に取り留めのない行程になってしまったので、とりあえずタイトルは「秋旅行」とだけ付けておきます。

さて、早朝に出発する予定だったのですが、うっかり寝坊してしまって1時間遅れの出発となってしまいました。2度寝してしまったようです。本来は西岐阜駅で降りて岐阜貨物ターミナル駅の周りを1周してコンテナの写真でも撮ろうと思っていたのですが、これはあえなくキャンセル。代わりに適当に大垣-米原間の駅で降りて周りの様子を見て歩きました。柏原で降りてみると、ちょうど大阪始発の「しなの」と、EF200形が牽引するコンテナ貨物列車が相次いでやってきてなかなかの収穫。EF200が来ると分かっているのであればもうちょっと撮る場所を考えたのですけど。出発信号機を見ているのですが、割と早く進路を引いてしまうようでG現示になってからだいぶ経ってから列車がやってくるのでなかなか当てになりません。柏原も中山道の宿場町だそうで、ゆっくり歩いてみたいのですけど今回の本命は醒ヶ井だったのでそちらに戻りました。大阪しなの@柏原EF200

醒ヶ井では駅前の醒井 水の宿の駅という施設でランチバイキングをやっているという情報をキャッチしていて、これを食べてみたかったのでバイキングが始まる11時を待っていたのでした。1時間早く出ていれば岐阜貨物ターミナルを見てくるつもりだったわけですが、代わりに柏原下車になってしまいました。それでもなお時間に余裕があったので醒ヶ井の宿場町を歩いてみました。水の宿の駅と銘打っているだけあって、醒ヶ井は水が豊富なところで、神社の階段の下あたりにある泉から水がジャブジャブと湧き出していて、それが古い町並みに沿って流れていました。こういう綺麗な水が豊富に町の中を流れている情景ってとてもいいですよね。古い町家も適度に残っていて楽しいです。すぐ裏手を名神高速が通っていて五月蝿いのが難点ではあります。高速道路の建設に伴って加茂神社も移転を余儀なくされたそうで。中は和風だけど表側は洋風という所謂「看板建築」である醒ヶ井郵便局跡の建物が残されていて、資料館として中まで公開されていました。有名なヴォーリズ氏の手による設計だそうで、2階に上がってみると普通の畳の部屋に欄間まで入っているのですが、これもちゃんとヴォーリズ氏が設計したそうです。看板建築の中まで設計していた人だったとは。

お目当てのランチバイキングは和風と言っているだけあって、蒸し寿司(これは1人1個)、茶碗蒸し(これも1人1個)、握り寿司(日によってネタが違うらしい)、てんぷら、いかめし、そば等々様々なものがあって、文句なしに美味しいものでした。主に地元産品を使用しているとか。ウェブサイトに値段を載せていないのはどうかと思いますが、税込み1260円でした。レシートで隣の喫茶店でコーヒーが割引になるとのこと。ここで食べてから町を一回りして、また喫茶店で一服してから帰るという使い方ができるかもしれません。水の宿の駅自体は醒ヶ井駅のすぐ脇(改札を出て30秒も掛からない)にあるので、また機会があれば通りがかった時に食べに来たいものです。中仙道醒ヶ井宿の様子古い町家加茂神社醒ヶ井郵便局跡

午後は、今日の最大の目当て関ヶ原古戦場散策です。関ヶ原駅の北側に上り列車の中からでも見られるような大きな看板が設置されていて、両軍武将の名前と兵力、家紋などが描かれていて、これを見るたびに降りて歴史の舞台を歩いてみたいと思っていたのですが、ようやく今日実行に移すことができました。駅前の観光案内所で地図をもらって、ついでにレンタサイクルを聞いてみると歴史民族資料館にあるとのこと。駅から跨線橋を渡って北の方へちょっと歩いたところにあります。まずは資料館から見学。様々な武将の遺品(主にレプリカ)などが展示されているのですが、関ヶ原の模型地図の上にランプを取り付けて、それらを点滅させながらナレーションで戦闘の経過を解説していく展示が面白かったです。

資料館のすぐ西側に徳川家康の最後の陣跡があります。徳川家康は最初関ヶ原の東側にある桃配山の麓付近に陣を構えていたのですが、味方の士気を鼓舞するために最前線に近いこの位置まで前進してきたとか。この近くに戦死者の首を洗った首洗い井戸などもあって、首実検もここでやったわけですね。石碑があってその周りを土塁で囲われていますが、これは後の関ヶ原の領主が幕府の命令で造ったものだそうです。徳川家康最後の陣跡

続いて北西の方へ自転車を走らせて関ヶ原合戦最終決戦地。この間はちょっと上り勾配です。田んぼの中に石碑だけ立っています。この地点で最終的に戦闘が行われて決着が付いたのだそうです。徳川家康の最後の陣跡からは驚くほど近いです。もっとも、石田光成が陣を敷いていた笹尾山へはもっと近く、すぐ目と鼻の先に笹尾山を見ることができます。これではすぐ足元で味方が敗勢に陥っているのがよく分かって光成もショックだったでしょう。その笹尾山は、もっと大きな山の中腹付近といった感じの場所。ちょっと関ヶ原側へ張り出している高地だったので陣地に手頃だとされたのかもしれません。丘の周囲に竹や木の柵が再現されていて陣の雰囲気が出ますが、実際には視界をよくするためにもう少し大規模に藪や木を切り払っていたのではないかと。丘の上まで5分も掛からない山道を登り(ここは自転車不可)、石田光成陣跡に到着。ここからはなるほど関ヶ原を見渡せますが、すぐ手前の木に遮られて最終決戦地はちょっと見えません(それくらい近いということです)。写真中央付近、白い工場の建物の右側に見えている建築物が関ヶ原町役場と歴史民族資料館で、そのさらに右側に森のように見えているところが徳川家康最終陣跡です。工場の上のあたりに白い線が伸びているのは通過中の新幹線。この背後の山が南宮山で、山頂付近に毛利や長宗我部の軍(西軍)が配置されていましたが麓付近にいた吉川広家が徳川家康に内応していて動かなかったために軍を動かせず、結局合戦中何もできなかったというのは有名。しかしながらこの南宮山のすぐ北側に徳川家康の最初の陣があった桃配山があり、そこからさらに包囲陣に踏み込むように最後陣の位置まで前進してくるわけですから、いくら内応していて戦闘に参加しない約束があったとしてもよくそのような行動が取れたものだと思います。他の西軍諸将が陣を敷いていたのはこの写真ではさらに右側になり、裏切り物小早川秀秋のいた松尾山はその山すそが写真の右側にちょっとだけ写っています。南宮山の陰に伊勢街道が伸びていて、島津義弘勢は敵中突破をしてこの道を薩摩へ引き上げていきました。関ヶ原合戦最終決戦場石田光成陣跡笹尾山から見た関ヶ原

笹尾山を降りて再び自転車で南西の方向へ移動。かつて北国街道だったルートは現在ほぼ国道365号線になっています(微妙に違うようですが)。西軍諸将は東軍の大坂城への進撃を阻止するために配置されていたので、関ヶ原を通る北国街道と中山道を封鎖する位置に南北に並んでいます。旧北国街道を横断して関ヶ原合戦開戦地へ。福島正則勢が東軍の一番槍をすることに決定していたのに、松平忠吉勢が勝手に抜け駆けしようとして、このあたりで争いになり、宇喜多秀家勢を攻撃したことで合戦が始まったとされています。宇喜多秀家、小西行長、島津義弘の陣跡は北国街道と中山道の間の割と狭い範囲に密集しています。そして地図ではよくわからないのですが、島津義弘の陣跡はなぜか林の中にあってあまり視界がよくなさそうです。こんなところに陣を敷いたのは最初からやる気がなかったのではないかと思ってしまいます。私自身が鹿児島出身者なので島津の事情についてはよく知っているのですが、もともと徳川家康と有事には伏見城にいる鳥居元忠(家康の家臣で家康の上杉討伐行動の時に関西で孤立してしまう)を助けるという約束をしていたのに、鳥居元忠にその話がちゃんと伝わっていなくて入城を拒否されてしまい、これに怒って東軍に付くつもりだったのが成り行きで西軍に付くことになってしまい、また大垣城での軍議で島津の献策が受け入れられなかったこともあって最初からやる気がなかったと言われています。関ヶ原でも終始消極的な戦い方で、合戦の最後になってからいきなり敵中突破をして引き上げに掛かったというのは有名な話。しかしこのような場所で鹿児島人が戦っていたのかと思うと感慨深いです。他の陣跡は(家康や光成を除けば)簡単な石碑が建っているだけなのに対して、義弘陣にわざわざ立派な石碑が建っているのは、鹿児島人が建てたものではないかと推測。関ヶ原合戦開戦地島津義弘陣跡西首塚

大谷吉継の陣は自転車で行くことができなかったので断念。中山道に沿って東へ引き上げてきました。関ヶ原は古来から交通の重要拠点だったので古代には不破の関が置かれていたということで、不破の関資料館を見学。藤古川という小さな川が北西から南東へ向かって流れていて、その川の東側が10m〜20mくらいの崖になっているので、これを要害として川の東側に建設されたのが不破の関だそうです。しかし東国から攻め上ってきた反乱軍が都に進むのを阻止するためだと思っていたので、なぜ関の西側を要害にするのかと思ったわけなのですが、資料館の解説によると都で起こった変事が地方に伝わって混乱を起こすのを阻止する方が主な目的であったのではないかと今では考えられているそうです。なるほど。

この他福島正則や本多忠勝陣跡も見ましたが、本多忠勝陣など公民館の裏手の民家との隙間のようなところにあって、今ではえらくしょぼいところになってしまっています。当時は原野で後から人家が建ち並んだのでしょうけれど。

夕方になり、彦根まで戻って夕食を取って、北陸本線の木ノ本駅前の温泉に入浴。大垣に移動して「ムーンライトながら」で関東へ移動しました。


2008-10-05 中学校の同窓会

tDiary 1219日目

_ [その他]中学校の同窓会

今度の正月に中学校の同窓会をするそうな。高校を卒業した時、つまり中学校の卒業から3年後に、一度だけ3年生の時のクラスレベルで集まったことはありますが、学年全体で集まったことは一度も無いですね。考えてみると高校の同窓会も学年全体で集まったのは一度だけですね。高校のクラスレベルでは結構よく集まっていましたけど。

もう中学校時代に付き合いのあった人たちが今何をしているかなんて、ほとんど分からなくなってしまいました。高校の時の同じクラスには、あまり同じ中学校出身の人がいなかったですし。

会場があからさまに車でないと行けない場所なのですが、酒を飲むつもりは無いんですかね。私は元から酒を飲まないので関係ありませんけどね。さて、他に見知った人が行くかどうか見てから決めたいと思います。

_ [その他]篤姫第40回

蛤御門の変(禁門の変)が発生。薩摩藩士大活躍ですが、本陣まで長州兵が攻めてくるようじゃ駄目でしょう。コラムコーナーで解説されていましたが、蛤御門は一度長州兵に突破されてしまったところを、薩州兵が駆けつけて押し戻したんですね。かつて実際に京都御所は秋の一般参観で見学したことがありますが、現在一般に常時公開されている京都御苑の中に、今でも常時警備されていて一般参観時にのみ立ち入ることができる京都御所がある構造になっており、蛤御門は外側の京都御苑の西側の門に当たります。あのあたりで発砲して交戦していたとすると、いかに京都御苑が広かろうと御所の中まで相当響いていたであろうということは想像できます。徳川家茂が出陣していきますが、結局もう帰って来れないんですよね。うーむ、まだ若いのに。


2009-10-05 Windows Vistaシェア減少

tDiary 1584日目

_ [IT]Windows Vistaシェア減少

Windows Vistaのシェアが早くも減少に転じたそうです。えーと…、まだWindows 7の発売は今月末からなのですが。確かに既にベータ版が広く使われ始めているようですけども。調査の仕方にもよるので、下の方の桁は誤差の範囲であまり大きな意味を持っていないのかもしれません。

Vistaは、実は今日気づいたのですが、Windows XPで持っていた暗号化ZIP作成の機能が削られてしまっているんですね。ファイルの関連付けの変更の機能とか、微妙に改悪されてしまっている機能もいろいろあって、何でこんなに改悪するんだと思ってしまいます。このあたりはWindows 7でもあまり改善は望めないのでしょうか。ベータを使ったこともないのでよく分からないのですが、前進せざるを得ないのは確かなので、これに近々移行するつもりでいます。

Windows 2000からWindows XPになった時も、こんなの必要ない、2000で十分ということは散々言われたのですが、さすがに登場から時間が経ちVistaの登場が遅れたこともあってXPがすっかり普及したようです。2000やそれ以前からNTカーネルのOSを使っている人にとっては、XPは大した前進ではなかったのですが、Windows 95/98/MeなどのOSを使っていた人にとってはXPは初めてのNTカーネルのOSになるので、その安定性は大きな魅力だったのではないかと思います。2000でも十分な完成度があったと思うのですが、公式には2000は一般向けのOSではありませんでした。それからすると、2000を使っていた人にはXPが大した前進ではないように見えたように、XPの次の移行は誰にとっても大した進歩ではないように見えてしまうのかもしれません。

ということで、そろそろ新しいハードウェアの選定を始める予定です。私にとっては6年ぶりの個人用PCの新調です。さすがにあまりに長く同じPCを使いすぎました。


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