2006年02月18日作成
2006年05月29日更新
The Special Providence - 書評 - 鉄路のデザイン
日本のJR在来線は1067mmの狭軌を採用しており、世界的によく使われている標準軌1435mmではありません。そもそもなぜ狭軌を採用したのかははっきりとした理由が分かっておらず謎のままなのですが、狭軌では標準軌に比べて輸送量でも速度でも劣るため、日本の鉄道の歴史では非常に初期の段階から鉄道を標準軌に改築しようという動きがありました。当時は、狭軌に対して標準軌のことを広軌と呼んでいて、広軌改築計画などと呼ばれていました。ゲージの改築は世界的に見ると、異なるゲージを採用している鉄道を直通させるためにどちらか一方に合わせることで行われるのが一般的で、日本のようにもともとほぼ全ての鉄道が同一のゲージで統一されていたのにわざわざ輸送力増強のために改築しようという例はあまりありません。この本は、日本の鉄道で繰り返し現れる広軌(標準軌)鉄道を求める動きを歴史に沿って描いていきます。
明治時代には広軌改築計画の論議は、建主改従と改主建従の論争として繰り広げられます。建主改従というのは建設を主にして改良を従にしようというもので、改主建従はその逆です。鉄道建設の方針として、建主改従では現在線の改良よりもむしろ地方にどんどん新線を延ばしていくべきだという態度であり、主に自分の地元に鉄道を引きたい政治家が取るものです。一方改主建従の態度は現実的で鉄道を経営している側から出ることが多く、採算の取れない地方路線を建設することはできるだけ避けて、主に幹線の輸送力増強に投資しようというものです。そして、広軌改築はこの改主建従に属するものです。実際に「後藤の大風呂敷」で知られる後藤新平などが強力に広軌改築計画を推し進めて、全国を改築するのに掛かる費用を試算したり、実際に試験線を建設して狭軌から標準軌への円滑な移行を実現する方法を研究したり、とかなり具体的なところまで進んでいました。この時代に建設された一部のトンネルは標準軌対応にするために規格が大きくなっていたそうです。しかし大正デモクラシーの時代で政権が変わるたびに方針が移り変わり、結局広軌改築は実現されること無く終わりました。
いつの時代も地方への新線建設を求める政治家の声に押されて広軌改築論は潰されてきたと言えるのですが、それが花開いたのが東海道新幹線です。新幹線にあえて標準軌を採用したのは、広軌改築を念願してきた鉄道技術者の執念によるものですし、既に輸送力の限界に達していた東海道本線を増強するという意味で改主建従の側に立つものです。当然、当時の政治家はこれを阻止して、その分でできる限り自分の地元に新規のローカル線を建設するのに必要な予算を獲得しようとするのですが、この時だけは改主建従勢力が打ち勝って何とか新幹線を実現することができました。当時の十河国鉄総裁がいかに尽力したかが良く分かります。ところが、一旦新幹線が完成してしまうと今度はそれを自分の地元に延ばせという政治家の圧力が掛かり、一転して新幹線も地方新線を建設する建主改従に早変わりしてしまうのでした。
この本はゲージを巡る歴史を紹介しながら、実は日本の鉄道の歴史で一貫して続けられてきた建主改従/改主建従の争いを描いているといえます。これまでにない面白い観点から日本の鉄道の歴史を描いている本だと思います。ただし、前半は広軌改築計画の話が主であるのに対して後半は整備新幹線の話が主で、2冊に分けてもよいような内容です。
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